なぜ人を信じられないの?(インナーチャイルドとの対話)


※私のインナーチャイルドと、大人の私の自己対話の詳細を書いていきます。

目的は私のインナーチャイルドを癒すため、自分が自分の親になるためです。

細字は精神年齢5歳のままの私、太字が大人の私です。




悩みを告白します。

私は例えどんなに好きな人でも、人を信じることが怖いです。

なぜ怖いんだろう?

・相手が私のことを利用しようとしているんじゃないかと思うから
・相手の言葉には何か裏があると思っているから
・例えポジティブな言葉をもらっても、私はそんなことを言ってもらえる人間じゃないと思うから

すぐに思いつくのはこんなところでしょうか。

なんで人から利用されると思うのかな?

母親が母親自身を安心させるために、これまで私を利用したと思っているのが、大きな理由だと思います。
お母さんが言う、「あなたのため」の言葉が全く信じられなかったし、めちゃくちゃ不快だったんです。

受験勉強に全く身が入らない私に対して、「このままだと、どこの大学にも受からない。成績優秀な子は今も勉強しているよ」と言われた時、
交際相手を紹介して、後日「あの人とは正直お母さんは付き合ってほしくない」と言われた時、
離婚した後、「あなたが選んだ人だから結婚を許したけど、本当は相手に対して快く思っていなかった」と聞かされた時、
大抵、辛そうな表情で「あなたのためを思って」と最後に付け加えられた。

内心、「私のためを思ってじゃなくて、お母さんが私にそうしてほしいだけでしょ。私をお母さんの期待通りに動かして、安心したいだけなんでしょ」と思っていました。

けど、辛そうにされると何も言えなかったし、罪悪感も生まれました。

私の話をもっと聞いて欲しかった。シンプルに心配の気持ちを出して欲しかった。
「何であなたはこうしたの?お母さんはこう思うよ」って、私を否定せずに知ろうとして欲しかった。

せめて「お母さんのためにこうして」と言われた方が、まだマシだったかもしれないです。

母親の理想の子供に育てるために、形式上私のことを気遣ったふりをしているんじゃないかとずっと思っていました。

本当は自分の話を聞いて欲しかったんだね。
受け入れてもらいたかったんだよね。

世間体も関係なく、無条件に愛して欲しかったです。
どんなあなたでもいいって言って欲しかった。
間違ったことでも、世間体の悪いことでも、気持ちよくやらせて欲しかった。

結局、小さい時から母親に対しては気を使っていたんです。
あまり直接的に叱られた記憶はないんですけど、母親の機嫌が悪くなるのはわかりやすいので、それが嫌で意識的に母親の機嫌を取ろうとしていました。

一つ母親に怒られた記憶といえば、小さい時に、二人でお風呂に入っていた時、私がふざけて私が母親の顔にシャワーをかけたら、
母がヒステリックになって私の顔にシャワーをかけて
「こうされたら嫌でしょ」って怒られてめちゃくちゃ怖いと思ったこと。

母親を怒らせないように、母親の正しいと思う行動をしなければいけない。
いい子にしていれば、私は親から愛してもらえるって思っていたんです。

けど正直自分のしたいことを我慢していました。

父方母方に関係なく、祖父母には平等に子供らしく接したかったし、お上品な服は着たくなかったし、中学生や高校生になったらもっと夜まで出かけていたかった。

我慢がストレスになっていたけど、親のことを嫌ってはいけないと思ってストレスを認めずにいた。
過干渉ではあるけど、いい母親だと自分に言い聞かせていたんです。
一緒にいて楽しい時間もありましたしね。
というか、小学生くらいまでは母親に気を遣いつつも、母親のことが大好きでした。

母親への嫌悪感が顕在化したのは、中学二年生くらいの時からです。

私も私で学校でいじめにあったり、父親のアル中がひどくて辛い時期には、SOSのサインを出していたんだと思います。
親も父親のアル中でしんどいのがわかっていたから、我慢をしなければいけない、自分も頑張らなければいけないと思っていた。
それでも私もしんどかったし、自分の辛さを親にも気づいて欲しかったんだと思います。

その時は私に構ってほしくないと意識していたけど、無意識ではもっと私のことを心配して愛してって思っていたんじゃないかな。
だから母からもらえない愛情を、男性に埋めてもらおうとしていたんだと思います。

学生時代、部屋にこもってネットで知り合った男性と連絡を取ったり、
親の目を盗んで男遊びをしたりしていました。

その当時の私は、家族での食事中はむすっとして言葉をほとんど発しなかったし、
自分の話も必要最低限だったし、
親の目を見れませんでした。

家族とのコミュニケーションはほぼなかったと思います。

私なりの反抗だったけど、実際は反抗しきれなかったんです。
結局、親の前ではいい子にしていなきゃって思っていたから。
家出くらいすればよかったとか、もはや苦しみまくって鬱にでもなった方がずっと健全だったと思います。

けど本当は、例え小さなことでも私の反抗を気にかけて寄り添って欲しかった。
何か辛いことがあるの?無理に話さなくてもいいけど、いつもと様子が違うから心配だよ。
どんなあなたでも受け入れるよ。って言って欲しかった。
あなたも傷ついて大変だったねって。

腫れ物に触るみたく、みて見ないふりはしてほしくなかった。
私のためを思ってるなら、私を本当に心配してるなら、あの時期こそもっと私に関わってくれてたんじゃないの?って気持ちは今も引きずっています。

小さい時からの我慢や、思春期の満たされなさが今も消化できてないんだね。
お母さんに対する不信感があったから、お母さんの言葉を素直に受け入れられなくなっていたのかな

そうですね。
母親の言葉には、「本当はこうしてほしい」って裏があると思っています。
それに、例え親から褒められたとしても、「お母さんの意向を汲み取っているからだ」って思って、素直に喜ぶことができなくなっていました。

別に自分はすごくない。偉くない。
表面上いい子にしているだけって、自分にずっと言い聞かせていましたね。

だから褒められても嬉しくない、心配されても不信感が増すっていう
それなのに心の中ではまだ無条件に愛されたいって期待が生まれてしまうんです。

子供の時に無条件で愛されてると感じられなくて、今でもまだ心が満たされてないんだね。
一番心の拠り所にしたい人から条件付きの愛情を受け取って育ったら、人のことを信じるのも難しいと思うよ。
お母さんに対する気持ちが、他の人にも表れているんだよね。

そうですね。
理由も何もないのはわかってるんです。
けど、人を信用しても私が辛いだけって、そこまで自分の中で飛躍してしまっています。
支離滅裂なこともわかってるんです。
けどこの思考がもう無意識レベルで染み付いていて、
人が信じられないし、相手に合わせなきゃ自分は受け入れられないと思っているし、正直自分の気持ちや意見すらよくわからないんです。

お母さんとの関係から、人間関係そのものにずっと困難を抱えてたんだね。
けど、今日のあなたは自分がして欲しかったことをちゃんと言えていたよ。

心の中の私に対してだったら、あの時自分がどうして欲しかったか、素直に話しやすいです。

私はあなたの味方だから、あなたの辛いことも、罪悪感を感じていることも全部受け入れるよ。
だから無理をしないで、辛い時は辛いって言っていいし、したいことはしたいって言っていいし、人の目を気にせずに素直に思ったことを言っていいんだよ。
弱音を吐くのは甘えじゃないし、自分と向き合うのは、自分を大事にすることだから。
そして、周りの人はお母さんじゃないって、頭では思っているんだから、解決の兆しはあるんじゃないかな。
少しずつ私を通して素直な自分の気持ちに気づいたら、他の人にも自分を表現してもいいと思うよ。
そしたら、あなたのお母さんに対するコミュニケーションの呪縛が少しずつ薄れていくかもしれないから。

自分の気持ちをはっきりさせること、難しいです。
けど、なんでも聞いてくれてありがとうございます。
すぐに人に対して実践できるか、そこは正直わからないけど、自分自身には素直になれるようにたくさんお話しさせてください。




いいなと思ったら応援しよう!