祖母の思い出の味 酵母原液
8年前に亡くなった父方の祖母が、胃腸が弱い私に飲ませてくれた魔法の美味しいジュース"コウソ"。
小さい頃、大きいボトルが定期的に家に届いたのを覚えている。原液を薄めて飲むと甘くて優しい味わいだった。
祖母が亡くなってからは飲むこともなくなってしまったけれど、先日家族の話の中で久しぶりに"コウソ"を飲みたいと話になった。京都の会社であることを知り1人で自転車で訪れた。
酵母の家 株式会社酵研 本部
私たちが"コウソ"と呼んでいた魔法のジュースは「アミノン酵母原液」というものだった。
事務所の入り口で販売しているようで、「こんにちは」と挨拶してはいると、どうぞと"コウソ"をいれてくださった。
飲んだ瞬間甘くて優しい味が広がって、祖母を思い出した。懐かしい気持ちで喉のあたりがキュっとなった。
「亡くなった祖母が飲ませてくれたんです。お腹が痛い時に飲ませてくれたり、口内炎や火傷にも塗ってくれました。」と伝えるとみなさん笑顔で聞いてくださった。
祖母の名前を伝えると、「あぁ!○○さん!」と気づいてくださり、最後の注文の日付を教えてくださった。亡くなる少し前に母が慌てて注文して、亡くなる前に祖母に飲ませてあげた最後の注文だった。祖母が亡くなる前に喜んで飲んだことを伝えたら、喜んでくださった。
祖母は"キムタク似"のイケメンおばあちゃんだった。「おばあちゃんはピシッとしてるやろ?"武士の矜持"っていうねんで。ご先祖さまがお侍さんやねんで。」と父は言っていた。
祖父は私が3歳の時に亡くなったので、あまり覚えていないが、祖父は祖母をとても大切にしていたらしい。
祖母は幼稚園バスや習い事に、運動がてらにと歩いて迎えに来てくれた。話しながら歩いて帰る時間が好きだった。
お稽古のない日は夕方、外を通る人の声や自転車の音を聞きながら二人で夕寝をした。
祖母の天花粉の香りが好きだった。
美意識が高く、友達と公園で遊んだ帰り道にはよく近所の化粧品屋さんでみかけた。
戦争の話は祖母からたくさん聞いた。大阪空襲の話。どんなふうに過ごしていたか。子供ながらに一生懸命聞いていたのかよく覚えている。
姉が今宮戎の福娘になったとき、会場で号泣した祖母。普段涙を見せない祖母だったから小学生の私はびっくりした。"えべっさんの福娘"はやはりすごいんだなと思った。
私が音楽学校に合格した頃は、自分がバタバタしていたからか祖母がどんなふうに喜んでくれたか、どんな話をしたか全く思い出せない。あっという間に家を出て寮生活になり、祖母と話す機会は減ってしまった。
祖母が亡くなったのは研究科7年の時だった。
そろそろ‥という頃に病院に会いに行けた。公演の初日直前だったので、お通夜やお葬式には駆けつけることはできなかったけれど、孫やひ孫もあつまってわいわいと明るく見送ったようでよかったと思う。
実家に帰って仏壇に手を合わせる時は、声を出して話しかけている。なんやかんやと返事が聞こえる気がする。
おばあちゃん、
今日"コウソ"を買ったから、今度帰る時に供えるよ。1番嬉しいやろ?
酵母の家の帰り道、
祖母との思い出がたくさん蘇って、また喉の奥がきゅっとなった。
酵母の家本部 アミノン
〒602-8441 京都府京都市上京区観世町113 酵母ビル
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