13年前の育児日記① 男性の育休取得がニュースになった時代
男性の育児参加。
よくテレビや新聞、雑誌などのメディアでお目にかかることばである。
そして、私もその「育児」に積極的に関わろうとしている一人間である。
4月の最初から育児休業している。私の職業では、どうやら画期的なことのようで、県内では、男性が育児休業している例は残念なことに数えるほどしかないらしい。まあ、このことについては、どの職種でも同じようなことであろうと思うし、これからの社会の努力に期待している。
2ヶ月が過ぎ、ようやくペースをつかめてきたかな。
4月当初は、一日中ご飯を作っているような気がした。
朝起きてご飯作って食べさせて、片付けたら昼ご飯の準備で、それを片付けて、昼寝をさせるかさせないかのうちに夕ご飯の準備。夕ご飯を食べさせて、お風呂入れて、何とか8時から9時の間に就寝。それから、ようやく自分のご飯。自分の昼ご飯なんか食べたか食べてないかわからないぐらいだった。幸せなことに、うちの息子はなかなか聞き分けがよく、調理をしているとキッチン台と私の間にぐりぐりと入り込んで(油や包丁を使うときは危ないのだが……)くるものの、素直にいろんなことを聞き入れてくれる。というより、お父さんに気を遣ってくれていたのだろう。4月半ばには体調を崩し、一日中寝ていたこともあった。
元気に外を走り回って、なかなかじっとしてくれていないのも正直疲れることはあるが、体調を崩されて、ぐったりしているのを見ている方が、その数十倍疲れるということも育休をとってみてわかったことだ。
やはり、子どもには健康でいてほしい。
かわいいと思うことはしょっちゅうだ。それに、昨日できなかったことが今日できるのである。いきなり。これには、感動すら覚える。なぜできるようになるの???理屈じゃないんだなあって日々思う。ことばや道具をつかえるようになっていくのを、こんなに目の当たりにできる機会はそうないのではないか。母親なり父親なりが、できるだけ子どものそばにいてやれることは、子どもにとってだけでなく、その親にとっても有意義なことであると痛感している。大変だなあと感じることももちろんあるが、それ以上のものを与えてもらっている気がする。息子と妻に感謝の毎日である。
祖母が入院したときは、さすがに私もぐったりした。育児と病院の往復の毎日はやっぱり体に応えた。途中、臨時保育という形で3日間ほど保育園に預かってもらった。その時も息子はとても聞き分けよく、一度も泣くことなく、むしろ喜んで保育園で遊んでいた。さすがに体は正直で、夜はぐっすり眠っていた。よほど気疲れしたのであろう。子どもは子どもなりに気を遣うのだなあ。治りかけていた鼻風邪も少しぶり返し……。いろんな病気をもらってくると聞いてはいたものの、申し訳ない。まあ、こうやって免疫力を高めていってもらうということで……。
おかげさまで祖母も元気に退院し、息子も嬉しそうである。祖母が息子を見る姿もまた嬉しそうで、家族が元気なのは本当にありがたいと思っている。息子にとっては曾おばあちゃん。2人で草取りや電車を見に行く姿にまた感謝である。
最近はお互いにペースをつかみつつあり、祖母と三人で昼ご飯を食べたりもしながらの毎日である。4月できなかったことが少しずつできるようになってきたのは、お互いの成長の証?でもあるかな。家事と育児で年収1200万だったっけ?そんなニュースをこの間見たなあ。(2007年)
現実、私は無給である。税金だ何だで支出は増えるばかり。お金的には厳しいかな。ただ、それに代えられない経験をさせてもらっているかな。女性の先生や近所のおばさんには同じようなことを言ってもらえる。「とても良いことをしているね!」って。
そして、男性にはそのようなことを一度も言ってもらったことがない。よくあって「すごいね」。
これが、社会の現実でもある。
ただいま昼寝中。
すやすやと。
寝顔にまた癒されている。
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