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しなやかな強さ。成功のレールを敷いてそこを歩ませて何を学ばせるのか

学校は成功のレール敷いてしまう

前回の投稿の続きみたいになってしまうが、人生において失敗という経験は、やはり早い段階で積ませた方が良いと思う。最後の最後まで成功体験で終わる人、あるいは失敗を失敗と思わずに走り抜ける人がいるのならば、その人は除いて。

ところが、学校は子どもに『成功のレール』を敷きがちだ。その道をたどれば必ず成功体験へと導かれるレールを敷き、着実にその上を歩かせるのだ。保護者の中には、我が子の道のりを先回りして余分なものはすべて取り除きなるべく平坦な道を歩かせる方もいらっしゃる。

教員の中には、学校で失敗の経験を積ませることが、今流行のレジリエンスにつながると信じ、敢えてその道をつくる者もいる。保護者の妨害に屈せずに、そういった教師から教えを受けた子どもたちは、皆高いレジリエンスを身に付けている気がする。

カリキュラムという鎖につながれて身動きがとれない

教師は、基本的にカリキュラムから逸脱できない。そのカリキュラムとは、個性を認めようとしない奴らが考えた、個性を認めようとするフリをする仕方がだんだんと上手になる教育なのではないかと自らを揶揄しそうだ。失敗から学ぶという考え方が大切なのはわかっているし、悩み落ち込む子どもに口ではそう励ましてもいるのに、失敗させようとしない。「和」=同調圧力の国だから……突出した個は潰す国だから……、と言い訳をしている人にはできない教え方だ。

他方、 秩序、安定こそ最上級のもので、本気でそう考えたヴェネツィア共和国はナポレオンにやられるまで1000年続いた。

でも、ヴェネツィアと日本の違いは、 必要と決めた国家の大事を、当時の水準で考えられ得る最高の情報収集・分析能力や、優れた指導者、官僚の能力を徹底的に活用してやり切るか、声の大きい市民メールをはばかって情報の分析や判断を誤り、衆愚に陥ってやるべきことを徹底できないか、の違いに帰するのではないかと思う。

可能性を信じて、しなやかな強さを身につけさせたい。
我慢するのはこちらの方だな。

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