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破綻警告

「このままでは田代家はあと16ヶ月で破綻します」

家計を握っている夫からなんとも恐ろしい警告が告げられた。私は慌ててパートをもうひとつかけもちすることに。たった一年半もの間に引っ越しを二回したことや、転職した夫の年収が減ったこと、さらには私の給料も下がったことで収入が支出を大幅に下回り家計は火の車となっているらしい。

引っ越しビンボーになるだろうということは予想していた。しかしこちらに引っ越してからの私は職場に馴染めなかったり、土地に馴染めなかったりと心がずっと慌しかった。牧場で働きだしてやっと落ち着いたこの頃、お給料は深夜の工場で働いていたときよりも減ってしまったけれど、ちょっとくらいゆっくりしてもバチは当たるまい!と、しばらくの間くらいなんとかなるか〜などと甘い考えでいたのだ。

しかし夫からのお告げを聞いてしまった以上それを無視するわけにはいかない。家計は夫に任せているが、苦しいときこそ夫婦二人三脚で頑張らねば。私は夫と違い働くことに向上心もなければ意欲もないが、どうやらイヤイヤ言っている場合ではないらしい。

夫は自分の収入が減ってしまったことや、私や子どもたちに対し慣れ親しんだ場所から新しい環境へ何度も動かしてしまったということに罪悪感を抱いている。

けれども私はお金に頓着する方ではない。だから貧乏生活になることにそこまで危機感をもってもいないし(むしろ私がその感覚でいるがために我が家は16ヶ月後に破綻するのかもしれない)、いろいろな土地に住むことができる経験は私にとっても子どもたちにとってもむしろプラスだと思っている。そんな私の背中を見ているからか、子どもたちも新しい環境に対し全くネガティヴなイメージもなく、むしろあちこちに友達がいることを誇りに思っている様子だ。

それに貧乏といったって健康な大人二人がそこそこ真面目に(夫に限っては大変真面目に)働いてはいる。奨学金という名の借金はあれど、消費者金融から送られてくる督促状に怯えることもなければ寒さに凍える夜を過ごすこともない。子どもたちには毎日お腹いっぱいの食事を与えることができているし、あたたかい布団の中眠ることもできる。サンタも瀕死の状態ではあるがなんとかきてくれそうだ。

私はもともと煌びやかなファッションにもディズニーランドに行くことにもあまり興味がない。古着や古道具は好きだが、それは「使えるものを最後まで使いたい」という気持ちから好きなのであって、やれヴィンテージだのレアだのという理由で高額になったものに対し購買意欲は湧かない。反対に「廃材を使ってつくりました」といった謳い文句や持ち主の思い入れを感じるものにはめっぽう弱いが。

夫の破綻警告を受けたあとは、私は掛け持ちのパート先(八百屋さん)を俊敏に決め働き始めた。節約のため自炊も大変よく頑張っていると思う。セブンイレブンのカフェラテもできるだけ我慢したし、読みたい本は図書館で借りて読んでいた。休みの日も出かければなにかしらお金がかかってしまうので自宅で過ごすことが多かった。お金がないときこそ時間はゆっくり過ぎていくもので、子どもと折り紙でクリスマスリースを作ったり、次男の自転車の練習をみたりと、節約をすると同時に母としての役割も存分に全うできたのではないだろうか。


さあそろそろご褒美だ。


家事も子育ても一旦ほっぽり出して、一人になってとにかく好きなことをしたい。セブンイレブンのカフェラテも飲んで、有料の美術館に行きたい。できれば本も買いたい。

私はストレスをためないことが人よりもうまいと思う。日常でモヤモヤとすることがあっても、それを我慢して溜め込むことも怒りを爆発させることも(あまり)なく、自分の中で消化して落ち着かせることができる。

なぜならご褒美があるからだ。

私は私の喜ぶことをよく知っている。セブンイレブンのカフェラテ、週末の美術館、寝る前の読書。居酒屋さんで飲む一杯目のビール、深夜のポテトチップス。

基本私は私に甘い。ご褒美はとても大切だ。それが待っていると思うとなにをするにも頑張ることができるし、頑張ったあとのそれはサウナのあとのコーヒー牛乳くらい格別なのだ。


きたる日曜日。洗濯物も子どもたちのお昼ごはんも全部夫に任せ、東京に出るべく用意を進める。今日という一日をいかに充実させるか。それには事前準備も必要だ。前日のうちに移動時間に読む本を決めて用意をしておいたし、行きたい美術館やギャラリーをピックアップし最も効率よく回れるよう折り紙に細かくメモもした。ただご褒美デーとはいえ貧乏生活に変わりはない。散財はできないので予算も決める。つまり私は限られた時間と予算の中で最高の一日を過ごさねばならないのだ。


10時30分出発。風がとても冷たい。外に出てわずか数分でブルッとする。ナイロンのコートではなくウールのコートを着てくるべきだったか。いきなり出鼻を挫かれてしまうとは。しかし動揺する必要はない。歩いていればあたたかくもなるだろうし、なにより今日は完璧なプランを立ててある。

駅でPASMOに4,000円をチャージする。熊谷駅から新宿駅まで1,170円、往復で2,340円だ。都内を何度も乗り換え乗り継ぎをすることを考えプラス2,000円もあれば十分足りるだろうという計算である。

最初は東京都写真美術館に行く。お目当てはアレックスソスの展示だ。入館料は800円かと思いきや別のフロアで「日本の新進気鋭の写真作家vol.21」なる展示がやっているらしい。なんと。これも見なければならないではないか。その中には私の好きな作家である金川晋吾さんの名前もあった。入館料は1,350円になってしまったがいた仕方ない。

アレックソスの展示はカラフルな色彩が実に美しかった。あとからギャラリーショップで本を立ち読みしたが、同じ写真と思えないほど展示の写真は美しかったし、大きくて、かっこよかった。彼の撮る写真たちは淡々としているが、ドキッとさせられることが多い。中でもなんでもない落書きが書かれた壁を写した写真が印象的だった。そこには「I LOVE MY DAD  TONY  I wisH HE Loved me」(原文ママ)と書かれていた。鑑賞する側の心をざわつかせる。はぁーっ。

やはり展示はいい。私は写真だけでなくアート全般大きいものが好きだ。カメラも大きくてゴツいものの方が見た目は好きだし、車なんかに興味はほとんどないが、強いていうならjeepみたいなゴツいタイヤのものをかっこいいと思う。ギャラリーよりも美術館が好きな理由も、広く天井も高い美術館では大きな作品を見られることが多いからだ。まったくもって単純だが、大きいだけで高揚するのだ。大きいは正義だ。

続いて「新進気鋭の写真作家vol.21」のフロアへ行く。そこに並んでいる作家たちは見たことのある名前ばかりだ。金川さんの作品は写真集「いなくなっていない父」と「farther」で見ていたが、実際に展示作品を見るのは初めてだったし、「明るくていい部屋」は作品自体初めて見た。そこには金川さん自身がうつっている写真と同居人二人の写真があった。金川さんの同居人が作家の百瀬文さんと斎藤玲児さんだということはエッセイ本「なめらかな人」で読んでいたので知っていた。その著者が百瀬さんだ。

お互いがお互いの作品で名前や写真を出すなんて、本当に気心が知れていて許せる間柄なんだろう。私は家族以外の人間と同居生活なんて考えられもしないが、家族以外で家族のような存在がいることを素直に羨ましいとも思った。なんにせよ好きな作家がダブルで出演しているなんてファンとしては歓喜でしかない。

続いて館内のギャラリーショップへ行く。私はギャラリーショップが大好きだ。それは映画を見たあとにグッズを買いに行くワクワク感に似ている。旅行のときのお土産なんかも嫌いじゃない。要するに思い出を買いたいのだ。アレックソスの写真集がほしかったけれど、予算もあるので、金川さんの「2022年8月」を買った。1,100円。ハッピープライス。


東京都写真美術館を出たあとは、仲良くしてもらっている写真家のコハラさんが本のお渡し会をしていると聞いたので寄ることにした。折り紙のメモ通りに恵比寿駅から原宿駅へ。

会場にはたくさんたくさん人がいた。邪魔になってはいけない、とコハラさんに挨拶だけし、本を購入してそそくさと退散。「またゆっくり!」と誰も聞いてないってのにコハラさんと仲良いんだぞアピールをしておいた。コハラさんのこだわりが詰まった本。タカマユミを感じさせるようなオシャレな雰囲気。4,200円。


次は新宿のサードディストリクトギャラリーへ。ここへはギャラリーメンバーである写真家の林朋奈さんのファンなので時々くる。その日は島根経さんの「やさしい人」がやっていた。モノクロームのポートレートが素敵だった。芳名帳に「次回作に期待!」と書いている人がいた。私も期待!フリーペーパーが置いてあったのでいただいた。0円。嬉しい。

そろそろお腹が空いてきた。優雅に喫茶店に入りたいところだが、すでに予想よりお金を遣ってしまっていた。予算がほぼない。仕方がないのでセブンイレブンで肉まんを買う。160円。

そして倉本裕梨さんの展示を見にいくべく世田谷の若林駅へ。折り紙のメモには渋谷駅で乗り換え、その後三軒茶屋で乗り換えとある。オッケー折り紙!

新宿駅から渋谷駅に行く電車でなぜだかおばちゃんに足を蹴られる。睨んでみたけれど、ふんっとされてしまった。私の睨みなんて大したことはないのだから、逆にニコってすればよかった。そっちの方が怖かったかも。

三軒茶屋駅から若林駅までは路面電車に乗り換えだったが、歩いて20分くらいだったので節約のため歩くことにした。途中セブンイレブンのカフェラテを買う。足も蹴られたし。190円。

倉本さんの展示は展示方法がとても面白かった。倉本さん自身もすごく魅力的な雰囲気のあるかっこいい人だ。ドキドキしながら少しお話もした。「世田谷区は静かな雰囲気も素敵ですね、路面電車にもワクワクしました」と路面電車に乗らずにきたのに嘘みたいなことを口走ってしまった。乗ったとは言っていないからセーフか、と頭の中で言い訳をしながら三軒茶屋駅まで歩いて帰る。足が痛くなってきた。

最後にもうひとつ行くつもりだったが、夫から「次男のクリスマスプレゼントのソニックのぬいぐるみが見つからないから新宿で探してきてほしい」とSOSメッセージがくる。

もう少し早く言ってくれれば新宿にいたというのに…仕方がない。もうクリスマスまでは待ったなしだ。最後の展示は諦めて新宿駅へ向かう。ビッグカメラとドンキホーテをハシゴしてなんとか目当てのぬいぐるみが見つかった。1,600円。

予算はオーバー、私だけの時間もビッグカメラに向かう時点で早々にフィニッシュだ。帰り道、ソニックのぬいぐるみを持った私はもう魔法がとけてお母さんに戻ってしまっていた。まぁいいか。いい一日だった。早く帰って息子たちを抱きしめなければ。プライスレス。

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