見出し画像

親がさせたいことと、子どもが欲していることは違う

こんばんは。

主題:親がさせたいことと、子どもが欲していることは違う
副題:わたしの仕事は話し相手

題名付けてみました。

子どもに英語を教え始めてから(大して教えている自覚はないですが)5年が経過しました。当初数年は、使命感(?)に駆られて一生懸命教えていました。いわゆる「先生」になろうとしていた感じがありました。

例えば子ども同士で話し始めたら「静かにして!」とか、関係ない内容を話しかけてきたら「今関係ないから」と遮っていたことがほとんどです。

いつからか英語を「教える」ことを諦めた気がしています。色々理由は合ったのだろう、が、そもそも無理してやっていたということだったのですね。

子どもに「英語を習わせる」親の手前、何か結果を出さなければ!と憑りつかれていたいたのかも、と思われます。

少し経験を積んだり、改めて熟考していくと、誰かの土俵で戦わない方がベターなのだと気づきますよね。当時仕事を一緒にしてくれていた友人はいつも、適切なタイミングで「無理してやる必要はない」と言ってくれます。(本当はもっとうまい表現をしてくれているのだが)

私は教える人ではないし、一緒に学ぶ立場である、というのを笠に、最近では本当に教えることは極力したくないなと思っています。(とはいえ、まだ大半は塾の様にレクチャー形式で、教えているけど、本当はやめたい。)

そうして、話が逸れても「まあいいや」と思って、話を聴いたり、質問を投げかけたり。。その後、適宜軌道修正する。こんなレッスンスタイルになってから数年。
ひどい時はほとんど関係ない話をして終わる時もあったりするけど💦
子どもたちは、みんないい顔をしている

自分自身で英語を必要だと思って学びに来てる子はどれくらいいるのだろうか。多分1/4もいないと思うのですが。

なんとなく楽しいし、なんとなくかっこいいし
学校でやらなきゃいけないし、という理由を自分なりに見つけて来ているのだろうとは思います。

その前に親の希望がまず第一にあるんだけどね。

大体は、レッスンの内容で触れたことから派生し、だんだん脱線していく形になります。
そもそも当スタジオで行う英語プレゼンのテーマが、自分の好きなこと、とか、自分の興味のある職業、とかそんなのだから、脱線して自分の興味のあること・好きなことを、気づいたら話しているパターンが多い。です。

最近話した内容をちょっと挙げてみると

・東急ハンズ見るの楽しい
・林間学校(今は宿泊学習というのかな?)で肝試しやったよね
・クラス替えで知ってる子いなくてアウェイになった
・自分のクラスが学年の中で一番落ちこぼれ
・朝ごはんにフルーツ食べた
・友達で心配なくらいずっと一日中ゲームしてる子がいる
・ハリーポッターのセリフ全部言えるくらい何回も見てる
・友達とけんかした

あれ、これ私がいつも同年代の友人とかとも話してるような内容だよね。

今日はテレ東の「カラオケ・バトル」について話しました。
小学校の低学年でカラオケ・バトル好きとか、珍しいよね。
わたしもよく見るので、話が合いました。

案の定、話は止まらなくて。
「とりあえず、ここまではやろう」
とか、何度も軌道修正して今日のレッスンを終えましたが。

「またぜったい、はなそうね!」

と、その子は何度も言ってました。

「同じ歳の子で見てる子いる?」と聞いたら「いない。」と言ってました。
だろうね。

普段、家で雑談とかって、あまりしていないのかな?
家帰って、保護者がフルタイムで働いていたりすると、家事で忙しいだろうし。
宿題もしなきゃいけないし。塾に行ってる子はその勉強もあるし。
お風呂入って、明日の用意して。。。

多分ダラダラしたりして、怒ったり怒られたりして。
兄弟姉妹がいるとしたら、様々な勝負が毎日繰り広げられているのだろうし。

学校では30人位いるクラスで勝手に喋るわけにはいかないし。
先生は数人しかいないし。自分一人だけ発言しすぎるとクラスで浮いちゃうし。
友達同士で話すのも、色々と気をつかうのだろうし。

よく考えたら、何も考えずに自分の話したい話を話せる場面って本当にないのかもしれない、と、思い至りました。
自分が小さい時の記憶ってほとんどないのですが💦
こんな悩みを抱いていたのかも謎です。。

わたしの使命はこの子達の話を聞いてあげることかもしれない、と。
積極的傾聴、と言うのかな?質問を投げかけて(これがコーチングというやつね。。。)自分の考えや意見を持つきっかけになれば、わたしが本来やりたいことが達成できるのでは!?

それは、英語を話せるようになること、ではなく
英語でも日本語でも語るべきことを考えられるようになること
発信すべき考えや意見を持つこと
その思いを英語でも日本語でも表現できるようになること

これ、ですよね。ああ、話を聴くだけで、ほぼそれが叶えられちゃうのでは💡とさえ、最近思い始めています。

親からしたら「英語教えてくれよ!」って感じだけどね。
でも、それを担う場所は既にたくさんありますし、わたしはそれを重要視していないので、今後もこのスタイルでしばらくは行ってみたいと思います。

という、これ、何の話だったの?という感じになってしまいましたが。
まとめると

子どもは話し相手を欲している
しかもその相手が、損得考えなくていい大人だったらなお良し
話を聴いてもらえる、そして質問をされることによって、自身の考えが深まる、内省や内観につながる
「自分」というものが確立する

それは、英語を話せることより、何より重要

とわたしは思います。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?