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【日記】 青色青光



久しぶりの滋賀県


曽祖父の33回忌のため
滋賀県の祖父母の家に行った。
久しぶりに行った気がする。

長浜駅に着き
少し歩くとすぐに琵琶湖が見えてきた。

その海みたいな広さと
草っ原の緑と空の青と白い雲が目の前いっぱいに広がる光景に、
しばらくぼーっとその場の空気を感じていた。

琵琶湖の向こう側の山々の緑が眩しかった。

暑いけど琵琶湖から心地のいい風が吹いてくる。

少しの蝉の鳴き声。

その場にいるだけでなんだか癒された。

琵琶湖 海みたいに広い


関東に引っ越しをしてから
自然を感じる機会が日常生活からほとんどなくなった。
なんか寂しいなと感じていた。

琵琶湖をぼーっと眺めながら、
やっぱり私は自然が好きなんだな〜と
実感していた。


車で来た家族と合流して
祖父母の家に行った。


車の窓からの景色 心が穏やかになる景色 


家族での時間


「おかえり〜よう帰ってきたな」と
2人で出迎えてくれた。

祖母は77歳、祖父は82歳になったらしい。

2人とも元気そうで安心した。
年に数回しか会えないから、
会える時間は
たくさん話をして大切に過ごしたいな〜
と感じている。

祖父はまだ趣味のゴルフを続けていると言っていた。

歩きに行ったことやストレッチをしたことを
新聞に毎月挟まってくるカレンダーに
記録していると教えてくれ、見せてくれた。

その日の予定と
何分歩いたかストレッチしたかを
自分で線を引いてアレンジして
カレンダーを使いこなしていた。

2020年からが1つの束になっていて、
あと3つくらい束があると教えてくれた。

このストイックさが
健康の秘訣なんだな〜と感じた。

お風呂でのストレッチも毎日欠かさないらしい。
すごい。見習いたい。

祖母は膝が上がりにくくなったと言っていた。
今はカーブスに通って運動をしているらしい。

祖母の作る料理は本当に美味しい。
かぼちゃの煮物の作り方を教えてもらった。


ほくほくのかぼちゃ 大好きな味


みんなで歩いて近所のお墓まで
お墓参りに行った。

お墓までの道のりは子どもの頃と同じだけど、
その道中にあった
大きな桜の樹がなくなっていた。

毎年夏にそこを通るたび大きな蝉の声がしていた。

「ふるうなったから、倒れてしまったら危ないし、切られてしまったんや」

という祖母の言葉を聞いてなんだか
切なくなってしまった。

同じ景色がいつまでもあるわけではないんだと感じた。


残しておきたい景色



歩いて3分くらいのところにある神社 朝の空気が気持ちいい


石なのに布をかけてあるだけでお地蔵様にみえる かわいい


神社の木 子どものころからずっとある大きな木


セミの抜け殻 神社で羽化してた 
セミの声って普段はうるさいな〜って思ってしまうけど、この抜け殻を見つけたときは
何年も土の中にいて、ようやく外の世界に出れたんだねっていう気持ちになった


子どものころよく遊んだ公園 そのままだった
馬の乗り物だけ顔部分が取れちゃって端の方に寄せられていた




仏様の目で見ている


次の日に曽祖父の33回忌は
祖父母の家で行われた。

親戚だけが集まった
こじんまりとした法事だった。

僧侶の方は母と同じ小学校に通っていた
顔馴染みの人だったようで、
曽祖父とも子どもの頃関わりがあったらしい。

色んな曽祖父との思い出話を聞かせてくれた。

なんかあったかいな〜と思った。


曽祖父の法名についてお話してくれた。
その話がとても心に残っているから書いておく。

法名はお寺からいただく名前のことみたい。
(知識がなく詳しくはわからない)

法名は忘れてしまったのだが、
その法名の意味を法事に来て下さった
僧侶の方が教えてくれた。

仏の目で見ている。
仏の目で見ると誰一人違わない。
みんな尊い存在である。


生きていると、自然と無意識に
良い悪い、優秀かそうでないかなど
物事をジャッジしてしまうし、
自分のことも人のこともジャッジしてしまっている。

でも、仏様の目から見ると
誰が良い悪いという区別はなく、
一人一人が尊い存在なんだよという意味
ということを教えてもらった。

法事はやらなきゃいけないものではなく、
故人がなにを教えてくれているのかな、伝えているのかなと
考える機会になったらいいなと思っている。

という話もされていて
すごく素敵な考え方だな〜と思った。



青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光


青色青光(しょうしきしょうこう)
黄色黄光(おうしきおうこう)
赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)
白色白光(びゃくしきびゃっこう)

これも僧侶の方がお話してくれた中で
すごく心に残っている言葉。



『仏説阿弥陀経』に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とありますが、お浄土の蓮の花はそれぞれが輝いているという意味です。

タンポポがバラの花を咲かすことは不可能です。
タンポポはタンポポ、バラはバラです。
しかしタンポポが見事にいのち一杯自分の花を咲かせていることは素晴らしいことです。他の花と何ら遜色はありません。

つまり顔かたちや性格、才能が異なっても、
如何に自分の花を咲かせ、
いのちを輝かせて生きていくかが大切なのではないでしょうか。

南御堂 真宗大谷派難波別院より引用
https://minamimido.jp/青色青光%E3%80%80黄色黄光%E3%80%80赤色赤光%E3%80%80白色白光%E3%80%80~仏/


曽祖父の法名の話と
この話と
せかやりとせか才の著者であり、
自己理解プログラムの生みの親である八木仁平さんが話されていた

「すべての個性が調和する世界」

というビジョンの話が

自分の中で全部繋がって、
なんかジーンとした気持ちになった。


私は八木さんの話を聞いて
そんな世界見てみたい!ととても感動したのだけど、

私が生まれるずっと前から
仏教の教えとして
こういう考え方が存在してたことがすごいと思った。

昔から人は
こんなふうに生きたら素晴らしいっていうことを
知っていたんだなって思うと本当にすごいし

昔から今まで生きてきた人が考えてきたことの軌跡に
想いをめぐらせて、壮大だな〜と感じた。



ゆっくり過ごせる時間


33回忌の後も
しばらく祖父母の家で過ごさせてもらった。

祖父の昔話を初めて詳しく聞かせてもらって
色んな経験をしていることに驚いた。
おもしろい人生送ってきたんだな〜って思った。

私も自分がおばあちゃんになったときにも
自分の人生を、孫に楽しく語れる生き方
をしたいな〜と思った。


家に帰り、祖母に教えてもらった
かぼちゃの煮物を作ってみた。

祖母の味みたいにおいしく作れてすごく嬉しかった。

祖母に「作ったよ!おいしくできた😊」
とLINEすると、喜んでくれてさらに嬉しくなった。


ほくほくにできた!


またゆっくり滋賀県に行きたいな。


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