やっぱり獣になれない私たちだけど。とびっきりの「ラブかもしれない」ストーリーに寄せて。
2ヶ月前、職場の人間関係や仕事内容に圧迫された私は「このままじゃヤバい、つぶれる」と思って会社を休んだ。生きててごめんなさい、という思いだけが頭を占領していた。幸いなことに、休職という選択肢をくれた友人や同居人がいたお陰で今こうして生きているけれど。
ちょうど同じくらいのタイミングで始まった秋のドラマが、「けもなれ」こと「獣になれない私たち」だった。
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放送前、けもなれは「ラブかもしれないストーリー」というコピーで宣伝されていた。そのコピーを見た人の多くは、松田龍平とガッキーのラブコメを予想し、期待していたはずだ。水曜の夜、キュンキュンしながら笑って萌えて、ちょっぴり泣いて。そんな明るいストーリーを。
だけど実際のけもなれは、ある意味正反対のドラマだった。それはもう切ないくらい、どこまでもリアルだった。ふらふらと地下鉄の線路に近づいていってしまっても、ヒーローは助けにこない。職場で勇気を出して本音を吐露しても、誰も加勢はしてくれない。どんなに頑張っても、自分の代わりなんていくらでもいると思い知らされる。一生懸命続けた会社も、風評被害で立ち行かなくなる。
ここにも書いたけど、初めて1話目を見たときにはあまりの辛さに途中で観るのを止めてしまった。圧の強い上司。ご褒美という名の接待。納得のいかない仕事の分担。「ちゃんとしなくちゃ」という強迫観念。どれもすべて、共感という域を超えてしまいそうなくらい身に覚えがあって苦しかった。
だけど野木亜紀子さんの脚本だから、きっとこの先に希望があるはずだ。そう思って続きを見てきた。
最初は晶にばかり感情移入していた。ほかの登場人物が全員敵に見えた。恒星むかつくけどこういう男性いるわ。社長うるさい。京谷クズ。千春さん重い。うえの&松任谷、腹たつ。岡持なんかこわい。呉羽、勝手にしすぎ人の気持ち考えて。朱里、サイコパスなの・・?あ、タクラマカンは好き。
だけど回を追うごとに、だんだんみんなのことを好きになっていった。素直じゃないとこも大好きだよ、恒星。よく「天才は孤独だ」なんて言うけれど、誰にも理解してもらえないのってきっと辛いよね、社長。たしかにおバカだけど、朱里はあなたのお陰で生きてるよ、京谷。強い愛がまぶしいくらいです、千春さん。まっとうな松任谷。なでまわしたい上野。心は体以上にビッグなんだね、岡持。私もあなたに1000ハグしたいよ、呉羽ねーさん。あなたはもう一人の晶だったんだね、朱里。やっぱり大好き、タクラマカーン♡くれちんを見守るカイジも、この上なくあたたかい。
気がつけば、全員のことを大好きになっていた。
最終話の5tapパーティーのシーン。「原節子さんはタバコもビールも好きやった」と熱弁する九十九社長を見て、ああ、なんて完璧な伏線回収なんだろうと思った。最初っから、誰も「永遠の処女」なんて求めてなかったのだ。「ちゃんとしなくちゃ」の呪いを解くのは、自分なんだ。獣になれない私たちだけど、獣にならなくとも楽しく生きる道をきっと探せる。いっしょにその道を探してくれる人はきっといる。その関係がラブかラブじゃないかなんてどうでもいい。ファーストキスが味気なくったって関係ない。運命の鐘は、いっしょにビールを飲みたい大事な相手と時間をかけて一緒にゆっくり鳴らせるようになればいい。
リアルすぎてときに胸が痛くなるような物語だからこそ、そこから受け取ったエールもずしんと手応えがあって、きちんと重みと温かみを感じた。
最終回を見終わった今、このドラマにこのタイミングで出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。届くかわからないけれど、この場で言いたい。このドラマを作ってくださったかた、届けてくださったかた、すべての人にお礼を言いたいです。祈るような、すがるような思いで見続けたこの1クールは、私の宝物です。最高の応援歌を、どうもありがとう。
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奇しくも、来週の月曜から職場に戻ることになった。だけどもう、私はびくびくしない。内ポケットにそっと爆弾をしのばせて、私も私の人生を取り戻して生きるよ。