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今日も試行錯誤・苦労と喜び

新しい動画を更新した。今回のテーマは樽前山神社例大祭。北海道の気になることを自分なりに調べて、イラストメモにまとめる過程を動画にした。

これまで「北海道の魅力」シリーズは何本か作っていたけれど、「何か調べたいことあるかな?」と探すのではなく「あ!これ気になる、調べよう!」の方が自然とやる気が出る。前回の動画で声が枯れすぎてしまって、更新は止まってしまったけど、今回は久しぶりに挑戦。調べるのも、イラストメモにするのも、ナレーションするのも楽しかった。

とはいえナレーションはなかなか大変だった。ウィキペディアで調べた通り「たるまえざん」で発音して録ったけれど、市の樽前山ホームページのアドレスは「tarumaezan」、樽前山神社のホームページのアドレスは「tarumaesan」となっている。迷ったけれど、追加で「たるまえさん」バージョンも録り直した。声のテンションや大きさが違ってしまうから、どちらかで統一した方がいいし、実際「さん」でも「ざん」でも一瞬だから誰も気づかないし、わかったところで何でもないことなのだけど、最終的に樽前山は「たるまえざん」、樽前山神社は「たるまえさん」と編集時に使い分けた。

編集ではイラストメモの過程をナレーションのタイミングに合わせて細かくカットして繋げた。以前はゆっくり繋げる手法だったけれど、音楽のリズムに合わせて細かくカットする最近の手法が気に入っていたから取り入れた。冒頭で簡単なチャンネル説明を入れて、「私の暮らしを見てください」ではなく「調べたことを見てください」が強調できればと思った。イラストメモのシーンをたっぷり入れて、合間に暮らしのシーンをさりげなく挟むことで、「こういう人がこのイラストメモを描いたんだな」と伝わるよう意識した。

サムネイルのデザインも苦労した。最近一新したサムネイルのレイアウトに合わせようとしたけれど、iMacの買い替えでモニターのサイズが変わったのでピッタリはまらなかった。構図や雰囲気は保ちつつ、細かいあしらいを変えることにした。それでも最終的には納得のいくデザインになったのでよかったと思う。

今回の動画で調べ方やイラストメモの作り方、編集の手法など、なんとなく「こういうやり方が作りやすい」というのが掴めた気がした。このシリーズは調べたいことに出会えた時、定期的にやりたいと思う。すぐに再生されなくても、鮮度が命の内容ではないから、長く見てもらえる動画になってくれたら嬉しい。「こういうやり方が作りやすい」が見えすぎると満足して止まってしまう側面もあるから、やっぱり試行錯誤は常にして、新しい発見を求め続けたい。結構長く書いてしまった。動画の裏話だけ独立してマガジンにしてもいいなって思うけど、あとから書こうと思う時と思わない時があるから難しいな。今できることはこの記事のリンクを動画の概要に貼ることかな。

恋人が出かける間際にかけてくれた一言で涙ぐんでしまった。今欲しい言葉だったってことなのかな。恋人は「わかりすぎてしまう側面」があって、私は「わからなくなってしまう側面」があるということ。

映画「関心領域」を見た。大きな起承転結はないし、わかりやすいメッセージ性もない。だから考えることになる。想像することになる。

定点カメラが静かに切り替わる。圧倒的に没入出来ないから、自分の意識と向き合うことになる。穏やかな家族の日常と壁一枚を挟んだ大量虐殺の対比が、無関心の恐ろしさを描いている。関心を持つことと無関心でいることの境界線。家の中だけでも、主人公が見ている領域と子どもたちが見ている領域はまるで違う。個人によって見える世界は全然違うということ。そんな風景を、「私はただ観察している」という感覚に陥る。現代のシーンで映されたのは、ガラス一枚を挟んで展示される大量の衣服や靴。淡々と清掃する従業員たち。またその風景を、「私はただ観察している」。関心のある場所を切り取り、解釈し、関心のない場所は目を背け、時に守る。私も、他人も、世界もきっとそう。私が作る作品にも、私自身にも、関心を持つ人と、持たない人がいる。対比、コントラスト、反転、境界。

アウシュビッツ収容所を訪れた時のことを思い出す。展示室はきれいに整頓され、本当にここであんなことが行われたのかと思ったけれど、外に出ると地元の家族が広場でシートを広げてお弁当を食べていて、その平和な光景に実感が湧いた。平和の反対はなんだろうか。暴力だろうか、地獄だろうか、戦争だろうか。あまりにも平和な光景を見ることで、逆に実感できるなんて不思議な気持ちだった。改めて調べたり、当時撮影した写真を見返すのもいいかもしれない。

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