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日記-20241109

私は現実的な人間だと思う。実現可能性が見出せないことには、労力を投入することがない。

自分の意思で中学受験を決断したが、学校の中で一番になろうとは思わなかった。モデル業では思いの外お仕事のご縁をいただいたが、ファッションショーの仕事を取ろうとは思わなかった。無意識のうちに、分不相応な望みだと思っていたからだ。

大抵のことに対して、ある程度器用な方だと思う。それでも大きな成果を得られなかったのは、限界を決めていたからかもしれない、とぼんやり思った。

スポーツをやっても、音楽をやっても、「自分の限界を決めないで」と声をかけられることが多かった。
言われたときは何も思わなかったが、突然そのことを思い出した。あのときも、あのときも、先生から、チームメイトから、私は同じことを言われていた。

もう外は日が落ちていたけれど、バスに乗って繁華街に向かった。目的地も決めずにただ歩いてみた。腹立たしいような気分になった。私に大したことができるわけがないのに。

仕事を辞めたとき、先輩から「あなたには未来があるから、辞めて正解だ」と言われたことが、ふと頭をよぎった。
辞めて正解だったのか、私にはわからない。あれから4年経つけれど、私は何も成し遂げていない。
成し遂げていないのだろうか?
大学に入り直した。若い友達ができた。信頼できるパートナーができた。新しく言語を学んだ。開業届を出した。

仕事を辞めた日、悔しくて、川に向かって悪口を叫んでやろうかと思った。恥ずかしくてできなかった。あの頃は、友達と出掛けて一緒に自撮りをすることも恥ずかしかった。今は、カメラに向かって表情を作ることが楽しい。
あの頃とは比べ物にならないくらい、創造的な人間になったと思った。

色々な人と関わって、たくさん嘘をつかれたけれど、それよりも多く優しさを与えてもらった。

適当に入ったカフェでは、店員が食器を片付け始めている。一人客は皆本を読んでいるかPCを開いていて、あとは数組のカップルが会話をしている。
どこかで見たような風景だが、この中のほとんどの人は、初めて私と同じ空間を共有するのだろう。

もしかしたら、いつか難関資格に合格するかもしれないし、ランウェイを歩くかもしれないし、ビルを建てるかもしれない。

人生の基本は、空欄を埋めることだと思って生きてきた。何をやりたいか、何ができるかなんて、正しく認識することはできないのではないかと思う。
ただ、その時の思いつきで空欄を埋めるのだ。
ビルを建てることにしても良い。それなら、ビルを建てる方法を探して、適切な人物を探して、適切な行動をとるのだ。
まずは空欄を埋めること。
それは自由に埋めることができるスペースだ。

この文章を公開してみようと思う。
私に開かれた選択だ。

もっと大きく動いてみたい。それができると思う。できないかもしれないけれど、できることもあるかもしれない。

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