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大きくなったら何になりたい?
「大きくなったら何になりたい?」と初めて聞かれたのは、確か幼稚園の時。
卒園文集を作るときの項目に、それがあった気がする。
それまで何になりたいかなんて考えたこともなくて、一番多かった他の子の答えに倣って「お母さん」と適当に言った記憶がある。
小学校になってからも、度々同じ質問をされた。
私は幼い頃からひねくれ者だったから、「何かになりたくないとダメなの?」と内心ムッとしていた。
べつになりたいものなんて、なかったから。
でも、「ねばならない」も強い子だったので、答えなきゃならないと思って答えを用意していた。
1.将来なりたいものはデザイナー
(デザイナーがどんな仕事かよく分かってなかった)
2.尊敬する人は、エジソン
(電気を発明した人くらいにしか知らなかった)
笑。これで小学校卒業までやり過ごした気がする。
なりたいものって職業のことですよね、私は優しい大人にはなりたいと思ってるけど、何をして働くかなんて分かりません。
小学校低学年の時にお絵描きをしていて、女の子の髪の毛を緑色に塗ったら、「まあ、髪の毛の色は黒か茶色よ」と注意されて憮然としたこともあった。
いいやん、緑が素敵と思ったんだから。絵くらい自由に描かせてよ!
そんな、どこか理屈っぽくてひねくれたまま大人になって、そのままこの歳になってしまった。
ただ、幼い頃の自分の疑問に、今になって答えが出たことがひとつある。
それは、職業=その人の価値じゃない、ということ。
たしかに社会的には、職業はラベルになる。何をしている人か分かれば安心するし、関わる時もスケジュール調整がしやすかったりといったメリットもある。
でも、それがその人自身の評価になるわけじゃない。
例えば医者になった人がいたとして、医者を目指すことになった動機はきっと様々だ。
ある人は人の役に立ちたいから、ある人は家業を継ぐため、ある人は安定した高収入を得るため、ある人は医学の研究が好きだから、ある人は医者一家に生まれて、小さい頃からなんとなく自分も医者になると思ってたから。
私が20代の頃に勤めていた施設のバスの運転手さんは、1年しっかり働いたら、数ヶ月は長期休暇を取って好きなスキーをするためにカナダに行くと言っていた。
海外ではそういう働き方をする人もいたと思うけど、平成の日本では珍しかったと思う。
最近よく観るYouTuberは、田舎の方に自給自足の村を作ったらしい。
働く基準は人それぞれ。
やりがいや天職という人もいれば、好きなことをするための手段という人もいる。
どっちがいいとか悪いとかではなく、またどちらが上でどちらが下とかいうものでもない。
誰でも何をしてもいいし、何者にならなくてもいい。
肩書きがなくたっていいし、肩書きが複数あっても構わない。
そんな世の中になりつつあって、嬉しいなぁと思う。