最近手放した価値観その1〜自分の存在意義
先日、檜原村の山奥にある和馬の湯という温泉に連れてってもらった。
昨年秋に急に膝の関節リウマチになり、今は1人で遠出が出来ない状況。
私は免許を持っていないから買い物はもっぱら自転車なのだけど、買い物に行くのも2週に一度と極力控えている。
でも、毎日家の中ばかりにいると、お家大好きな私でもさすがに鬱々としてくる。
そんな私を見兼ねてか、普段は最低限の会話しか交わさない夫が珍しく誘ってくれたのだ。
助手席から眺めていると、段々と山が近くなって家が少なくなり、たくさんの杉のてっぺんが形作る美しい斜面が眼前に現れて、いつの間にか車は山の中に包まれている。
野生の白藤が高いところに咲いている。
時々現れる数件の家の庭は手入れが行き届いていて、立派な大手毬だのピンクや赤の花が植っている。
移り変わる景色に眼が楽しくて、まだ往路なのにもう帰ってもいいくらい満足だった。
でも、目的地に到着してさらに車のドアを開けたとたん、さらに嬉しい驚きが。
空気が清々しすぎる!
明らかに街とは違う、酸素に植物のエッセンスが混ざった香り。
あー、毎日この香りを嗅ぎたい。あー、ここに暮らしたい。
温泉もとてもよかったけど、食堂の開け放たれた窓から入ってくるクーラーのような爽やかな風と鳥のさえずりの心地さといったら。
なんだかすごく贅沢で、心がたっぷり喜んだ。
健康な時も山や温泉は時々行っていたけど、こんなに五感で感じたことはなかったかも。
温泉効果もあってか、体中の力が抜けてふわっと軽いことにも気がついた。
1週間以上経った今も、この日のことを思い出しては心が満たされている。
私はよく叶わぬ夢的に「老後は山の中の大きな庭のある家に住んで、植物の世話だけして生活したい」なんて言ってるんだけど、実はそういう生活を心底欲してるということに気がついた。
今まで仕事=自己実現という価値観でやって来て、フリーランスになってからは常に1人でもがいて足掻いていた。
仕事で認めてもらうことや自分を認めることだけが、自分の存在意義みたいに。
そして仕事を通して自分を成長させようとしていた節があった。
でも、私が本当に求めてたのはそうじゃなかったみたい。
存在意義とか、どうでもいいんだ。
人から認めてもらわなくたって、ここにいるだけで否応なしに存在してるんだし。
それよりも、ささやかでいいから、自分の心がしみじみ満たされるような生活をしたいみたい。
今までも好きかどうかを判断基準にしてきたけど、もっと、もっとだ。
もっと楽に生きてもいいんだなぁと、最近は感じている。
仕事に関しても、きちんとやるけどそれだけが自分じゃなくていい。
自分の価値観を一つ手放した、そんな日だった。