朝礼の “休め” から考えてみた結果、体育でヨガをして欲しい件
って、“休め” ありました?今の子供はどうなのでしょう?38年前はありました。始業前、全校生徒が校庭に直立不動で整列、校長先生のメマイがするほどつまらない話を聞いたり、何したり、あれしたりの合間の休め。足を開いて後ろで手を組むという軍隊のようなアレです。わたしは「休め」と言われると、少しだけ姿勢を崩してもOKの安堵から片足重心になってたんですよね。片足重心の癖、いつ、どうやって始まったのかな?と考えていたら、小学校の朝礼が浮かんできたわけです。
片足重心は休めない
ヨガを始めてから特に感じたのは、レッスンの合間の “休め” も両方に均等に体重がかかるポーズばかり。慣れていないので違和感があるけれど、その違和感自体がわたしの先入観、刷り込まれたもので、結果、両足、否、両方に体重をかけた方が身体が休まるのだから、無意識だと片足重心でだらりとすること自体がわたしの間違った認識なのかもしれない。本当に本当に肉体を休ませるのならば横になるしかない。だったら、朝礼の合間の一声は保護者からブーイングが起きようとも素直に「待て」でよかったのじゃないかしら (笑)
正しい着席方法
小学校に入学して、学習することやクラスの友達と仲良く過ごすことは強いられてきたけれど、授業を受けるにあたって正しい座りかたというものを誰も教えてはくれないです。正しい座りかたは、そもそも身体に負担をかけにくいものなんだから、まずはそこから。体育の時間で簡単なヨガ、正しい姿勢を教えてあげてもいいんじゃないのかなと思ったり。見映えよく背筋をよくすることは教わったけれど、正しく姿勢をよくする方法を教えられる先生はいないでしょう。変な骨盤の傾きで姿勢のみを正すから疲れるわけで。ゆくゆくは身体も悪くするし、変に太る…のは随分先の大人になってからだろうけど。そんな小さな社会から、誰かが勝手に求めた必要とされることだけ伝えられるのが義務教育だなんて、ただのトップダウンの慣らしよね。世の中の大半が言われたことだけをきちんとできれば評価されるんだって感じてしまっても仕方ないことな気がする。ヨガの姿勢から、こんな壮大なことを考え始めたわたしはかなり暇なんだと思うけど。
運動するからキレイ?
バレエをすると姿勢がいいとか、体操をすると筋肉がキレイとか。これは正しいとは思うけれど、ちょっと足りない情報。何も知らないわたしたちが「いいらしいよ。」と、話す内容は意味合いが少しだけ間違って伝わってきています。何か特別なスポーツをしているからキレイなのではなく、本当は「正しい姿勢と重心で筋肉を柔らかくしているからキレイ」なのだと思うんです。体育でもあるストレッチ、柔軟体操。その必要性を授業で愉しく伝えている先生はいるのかな?先生も生徒も文科省が決めたカリキュラムだからなんとなーくこなしているだけでしょ。ただの決まりだから。わたし、体育なんてつまらなくて大嫌いだったし、サボることに全ての知恵をフル稼働していましたよ。だけど、そんな理由があるって知っていたら、めちゃくちゃ頑張ったと思う。そんなわたしのように、必要な理由がわからなければ授業であっても一生懸命やらない困ったちゃんもいる。そこを巻き込めてこその教育じゃない? (他力本願) わたしたち今の親世代は特になんだけど、義務教育=無駄感が半端なく蔓延しています。だからこそ、我が子には私立受験推奨な流れ。必要な教育や情報は公立では入手できない、というイメージ。そうイメージなだけで、今の時代は望めば必要なものは何処にいても手に入れられるけど。これも、説明不足過ぎた滝行のようなトップダウン教育を受けてきた昭和世代のフラストレーションだったりして、ね。って、話が飛躍し過ぎました。
素晴らしいヨガの虜
誰でもできる運動がヨガ。運動神経もいらない、瞬発力もいらない。自分の身体とひたすら向き合うだけのヨガ。筋肉の力に負けずに骨を成長させる為にも、子供にも軽いヨガをオススメしたいです。自分の筋肉を感じる、呼吸を感じる。強いては生命を感じられる素晴らしいものだと、ヨガへの愛が駄々漏れ。