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人生が生きずらい私へ
友理香です。アラフィフ、独身。
物心ついた時から、人に手順を2,3、説明されれば、その先の7,8の手順がパッと頭に浮かび、理解をして、最初からすぐに物事をそつなくこなす。だからよく人から頼まれる、頼りにされる。やってやれないことはないから断らない。それが続くと、その成果を自分でやったように言う人が出てくる。ムカつくけど、誰かの役に立っているならと、自己アピールはせず、我慢する。そう言うことがたびたび続く。それでも我慢するが、だんだんストレスがたまる。だから、公平性を訴える。そうすると、「扱いずらい人」とレッテルを張られ、居づらくなる。そして会社を辞める。特にこの数年、こんなことが続いている。
私の何がいけないんだろう、そう責め続け、「HSP/繊細さん」というワードに、50を目前にして出会った。そして、同じような生きづらさを感じている人が、この世にいることを知った。「気にし過ぎ」「考え過ぎ」、そう言われ、何とか自分自身、納得しようとしても、どうしても納得できなかった理由がやっとわかった。
人を優先し、己を犠牲にしてきた。それが私に課せられた「試練」だと思っていた。いや、思い込ませてきた、自分自身を。今、改めて自分に問う、「それってホントに、ホントに、心の底からそう思ってる?」。答えは、「うーーーーんと、実は。。。。。。Noでした、ずっと嫌だって思ってました」。。。だよね(笑)当然だ、自分には嘘がつけない。だったら、人生100年ならば、これからの50年、自分を大切にする人生を送ろうよ。それで五分五分/イーブンしようよ。
だから、リハビリとして、自分の心の赴くまま、今までの生きずらさをここに書き、これまでの50年の心の垢を落とそう。完全にきれいにならなくてもいい、生ま変わろうなんて、そんな大げさじゃなくていい。ただ、いっぱい考え過ぎて、いっぱい人に気を使いすぎて、自分を疲弊させてしまった自分に「お疲れ様」と言ってあげる場を作るため、noteを始めました。
もし、私の生きづらさが、誰かに届いたなら、それは人生のサプライズだ。読んでくれたあなたへ、「ありがとうございます。大丈夫、こんなヤツでも今日、生きてますよ」。
追伸:この写真は、カナダに住んでいた時、部屋から見えた初冬の夕暮れです。身を丸めてしまう寒さ、真っ暗ではなく、わずかに光がある。私の人生をヴィジュアルにすると、こんな感じです。
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