意見を持って、伝える、変えるって、誰かを傷つけることだよねってはなし12/21
いやー寒いっすね
最近この言葉に集約されますね
最近、風邪流行ってるよねーで会話始められるから会話楽やなーって思います
暑いですねとか寒いですねって、老人感あって、僕は個人的に好きじゃないです。
寒いとかいうと、北海道の方が寒いでしょ!っていう人いるんですけど、寒いもんは寒いです。あついもんはあついです。みんな同じです。個人的に、本州の冬は、気温差がはげしくて、体調管理がむずいです。
なんか、自分の意見を持つって、いいことって、最近言われますよね。文部科学省も、個性や個性や!!と80年代からがんばって、最近の教育の潮流は、「ロジカル・シンキング」論理的に考えよう!って言ってますよね。事実、早稲田もAPUもアカデミックライティング、僕の大学も論理力が大事ってよくいいます
だけど、意見を持つってなんだろう?って思った時。それは、反面、現状に不満を抱いて、変えていこうっていう性質を持つんですよね、ぐは
みなさんも、経験あるんじゃないでしょうか?
彼氏に変わってほしいけど、変わってくれない?
ある教授のテストがひどい!とか言ったり。
でも、究極的に、これを分解したら、結局は今の現状が変わってほしいっていう、意見を持ってることに収まります
だから意見を持つってつかれるなーって最近思います。
僕自身も、色々自分自身のことや、学校や組織に対して、変えようと思っても、その形態が好きな人っていうのもいます。例えば、かれは昔あんな人じゃなかったのに、ってよくいいますよね。なのに、あんなにヤンキーになっちゃって。でも彼にとっては、それが心地いい。
そういった、自分の意見と他者の意見のアンバランスというのは必ず生じます。
実際、僕もスペインのカタルーニャ語の言語政策について調べてるんですけど。カタルーニャって、まじすごくて、少数言語であるはずのカタルーニャ語を義務教育でして、ほとんどの人が話せるし、理解できるんですよね。(これって、世界的に見ると、けっこうすごい、ほんとに)
ただ他方で、カタルーニャ政府は、教育の言語をカタルーニャ語に統一した弊害として、標準語であるカスティーリャ語(みんなが知ってるスペイン語)についての教育機会がなくなってしまって。カスティーリャ語のアイデンティティを奪っている、教育の平等性がないという違憲判決も出てるんです。カタルーニャ政府は、調査を行い、児童のカスティーリャ語の運用能力も高いことを証明し、問題はないよね、うんうん、と主張してます。
僕自身、言語の多様性を守ることや少数言語を守ることって、すばらしい「正義」だと思ってたんですよね。ただ、その言語を守ることをすることによって、次は困る人も出てくるんだなーって、複雑だなーって思いました。(ただという方が好き。しかしながらって使う現代文まじきらい、ザキヤマのからの〜、俺の意見は〜(大体通説的意見でおもんない)、関係ないですね)
まぁまぁ何が言いたいかっていうと、論理って答えなくね、
以上です。
12/21 冬至の候
やんぐやんぐ