例のコンプレックスを乗り越えた話 (創作)
社内恋愛でした。たまたま通勤に同じ路線を利用していて、私のマンションの方が会社に近かったため、彼が私の部屋に泊まる回数は自然と増えてゆきました。
友人とのSNSには、彼と過ごす中でのフォトジェニックな空間・瞬間を切り取ってアップしていました。浮かれていたんです。
しかし私達カップルには、密かな課題がありました。
私は・・・、彼にノーメイクの顔を全く見せることができず、お風呂上りには毎回「すっぴん風メイク」を施していました。そしてメイクしたまま眠っていました。
彼は彼で「人と一緒だと熟睡できない」との理由から、私と同じベッドではなく狭いキッチンで寝袋を用いて睡眠をとっていました。
寝袋。SNSにアップする画像に映りこまないよう、注意が必要です。
ある金曜の夜、二人で食事をして帰りました。お酒に弱い私は食後のモスコーミュールを言い訳に体をとろけさせていました。
お見通しだったのか、部屋に着くやいなや着衣のまま愛されてしまいました。
お風呂の順番は、彼が先で私が後。疲れているときの彼は、入浴後そのまま寝袋の場所へ行き、電気を消してスマホを扱い、暫くすると寝ています。
あの日もそうだったので、油断した私は、初めてお風呂上がりのメイクを「朝すればいいや」とさぼったのでした。
そんな時に限って!彼は寝袋から出てきており、私が部屋に戻ってきたタイミングで居室の電気を全灯してしまいました・・・。
すっぴんの私と目が合った彼は、固まっています。
私は軽く混乱し、咄嗟に
「あぁ!今までの苦労が台無しじゃない!もう、今日は帰って」
と言い放ち、彼に背を向けました。
メイクなしの私は、ハッキリ言って別人です。自分が一番知っているから毎回努力してきたのです。見られて悔しい、惨めだ。幼い感情が爆発し、涙が流れ出します。
彼は、ようやく口を開きました。
「ゆりはゆりだよ。それに、顔と首の色が違っていないから、そっちの方がいいよ」と。
えっ、気付いていたんだ!顔と首の色!?
カッと恥ずかしくなりました。
私は絞り出すように「別れたい、帰って」と伝えたのですが、彼からは想像もしていない返事が返ってきました。
「このまま放っておけないし、実は俺もゆりに見てもらいたいものがあるんだ。別れるかどうかは、それを見て決めて。俺は別れたくないけど」と。
彼は、仕事用とは別の鞄を抱えて来ました。
(えっ、「別れるかどうかは、それを見て決めて」って何?)
嫌な予感に、血の気が引いてきます。
(実は妻子あり、みたいなカミングアウト?)
私は顔を布団で隠しながら「見たくないし、帰っていいから。ちょっとでも私を好きだったなら今すぐ帰って」と身勝手な言葉を吐きました。
私の言葉を無視して彼が鞄から取り出したものは、「眼鏡」でした。
「俺は小学生の頃から異様に眼鏡が似合わない。実の親にすら、出来るだけ眼鏡を掛けるなと言われてきたトラウマがある」
「トラウマって言葉を簡単に使わないで」
「とにかく似合わない」
「私、眼鏡好きなんだけど」
「似合わないんだ」
彼はその場でコンタクトレンズを外し、眼鏡を掛けました。
!?
すこぶる好み。何これ。
「ほら、ばかにしてるだろ。俺、帰ろうかな」
「違うよ、眼鏡掛けたほうが好き」
「嘘をつくな」
私達はお互い「あなたはOKだけど、私はとにかく駄目」という状態だったのでした。
そしてそのことに、お互い気付き始めていました。
だけど間が悪いことに、2020年春、職場はリモートワークが採用され、互いの部屋に戻った私達は喧嘩が増えてしまいました。
たまに会ってもセックスを済ませたら帰宅しようとする彼に対し、「今まで通勤に便利だったからしょっちゅう泊ってたわけ?」と嫌味をぶつけてしまいました。
正直な彼は「それもあるけど、それだけじゃない」と答え、私は「それもある」の部分に過剰反応しました。
私は彼の眼鏡を取り上げると、一気にへし折ってしまいました。
彼は、さすがに唖然としていました。ああ、これこそが真の終わり・・・。
大好きな彼の眼鏡を折るという行為は、私自身にとっても大変心が痛むことで、自虐的行為でもありました。
翌朝、セロテープを巻き付けて即席に眼鏡を修理した彼は「ゆり、一緒に住む部屋を探そう」と得意気に言いました。
「私への執着が別れを回避してくれているなんて、スピリチュアルの本に書いてあることと違う」、と笑えました。心の中で眼鏡にも謝りました。ごめんなさい。
「嫌われる怖さがないのなら、それが答えかも知れない」
彼を受け入れる過程は、自分を受け入れる過程に似ていて時に恥ずかしいし怖いけれど、彼との出逢いにはとても感謝しています。
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