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チェチェンにおけるロシアの戦争犯罪1994-2009

チェチェン人@jozhallayamarsoのツイートを翻訳しました。
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サマシュキ虐殺は、第一次チェチェン戦争中に起こった。酔っぱらったOMON、SOBR、Vityazの部隊が、チェチェン人を処刑し、レイプし、拷問した。また、生きている人が中にいる家を略奪し、燃やした。(100人以上の死者) -*赤十字によると約250人とある。

1999年、ロシアのSukhoi Su-24戦闘爆撃機2機が、無防備で孤立した村エリスタンツィーにクラスター爆弾を投下した。地元の人によると、爆弾が地元の学校を襲ったとき、9人の子供を含む48人が死亡した。この村には、チェチェン軍の駐留はなかった。

2000年 ロシア軍はカティル・ユルト村と白旗を掲げた難民輸送隊を空爆した。この結果、数百人の民間人が死傷した。(合計363名)

グロズヌイは多くの攻撃の犠牲となった...その1つが1999年のグロズヌイ弾道ミサイル攻撃。この攻撃の主な標的は中央市場であった。

"ロシア当局者は、この市場を「弾薬市場」「テロリストの本部」と典型的な呼び方をした"

グロズヌイ:1999年 OMON部隊が、包囲された都市を車列で去ろうとするチェチェン難民を殺害した。40人が死亡し、7人が負傷した。車列は50人で構成されていた。

コムソモルスコエ:2000年、チェチェン人のグループがロシア人による恩赦を受けた。この事件は全て録画され、男達には明らかに虐待のあとが見られる(手足の欠損など)。ビデオの最後には、彼らはトラックからトラックへ裸の死体を引きずることを余儀なくされた。

Komsomolskoye

撮影のきっかけは、あるロシア人下士官で、彼によると、今も続く悪夢から解放される機会だったそうだ。

ポリトコフスカヤによれば、それはまるでナチスの強制収容所の映画のワンシーンのようだったという。

チェルノコゾボには多くの選別キャンプ(収容所)があった選別キャンプはロシア軍によって作られた違法施設であり、誘拐されたチェチェン人はそこに連れて行かれ、拷問を受けた。私の親族も含め、多くの人が帰らぬ人となった。

選別キャンプ

少なくとも20万人が犠牲になった。チェチェンの人口がおそらく100万人未満であることを念頭に置いてほしい。何人かは、彼らの家族が多額のお金を支払う事でのみ解放された。亡くなった人々(の命)はそれよりはるかに高額だった。

グロズヌイのスタロプロミスロフスキー:1999年 ロシア兵が至近距離から40人以上のチェチェン市民を処刑した。主な犠牲者は女性、子供、高齢者。

シャミ・ユルト:バクー - ロストフ高速道路の爆撃は、チェチェン市民を乗せた大規模な車列が使用していた安全な出口をロシア航空機が攻撃したものだ。彼らはチェチェンを離れ、隣国のイングシェチア共和国に入ろうとしていた。25人の市民が死亡し、70人以上が負傷した。

1995年 ロシアの戦闘機がチェチェンの町シャリーをクラスター爆弾で爆撃した。標的は、市場、病院、墓地、学校であった。100人以上が死亡し、168人が負傷した。その地域にはチェチェン軍の痕跡はなかった。

集団墓地:チェチェンには57の集団墓地が登録されている。最大のものはグロズヌイで発見され、800人の遺体があった。遺体の多くは、生きている間に切断されたものである。

ヌーラ・ルルイエヴァ(1960-2000):
2000年 ロシア連邦保安庁が、ルルイエワと彼女のいとこがイチゴを売っていた市場に踏み込んだ。彼らは二人を知らない場所に拉致した。2001年 放置されたサマーハウスで行方不明の女性の死体が発見される。

死体には明らかに拷問の跡があり、その多くは目隠しをされ、両腕を後ろで縛られていた。また、何人かはブービートラップ(地雷や手榴弾などが近づくと爆発する仕掛け)が仕掛けられていた。ルルイエバスの死体には、頭部への複数の強い打撃による死が確認された。

エルザ・クンガエワ(1982-2000):
エルザは、17歳のチェチェンの若者だった。ロシアのユーリ・ブダノフ大佐が彼女を夜間誘拐し、レイプし、殴り、殺害した。

兄弟2人の不法逮捕 2006年3月、Sulim Sは出勤途中に10人の男に呼び止められ、拉致された。Sulimによる拷問の描写。

彼の弟のSulumbek S.も不法に逮捕された。彼の説明。

象:象とは、ロシア兵がチェチェン人を拷問し、辱めるために使用したガスマスクです。両手を背中に回して手錠をかけ、呼吸のチューブを閉じるのだ。生存者の中には、これが最悪の方法だったと言う人もいる。

これはチェチェンで起こったことのほんの10%に過ぎない。

兵士が「ただ必要だったから」という理由で、ロシアの戦車で女性が2つに引き裂かれたり、ロシアの警備員が夜間にチェチェン人の拘留者に好き放題したり、他にも多くの残虐行為があった。

2003年、国連はグロズヌイを地球上で最も破壊された都市と宣言した。私は個人的に、この「戦争」をチェチェンの人々に対する大虐殺と分類するのは十分公平だと思う。

泣くな、壊すな、そして忘れるな、許すな。


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