ゴルバチョフの死
Sergej Sumlenny(@sumlenny)の8/31/22のツイートの翻訳です。
ミハイル・ゴルバチョフが死んだ。彼は、リガ、ビリニュス、トビリシ、アルマアタなどの都市で平和的な抗議行動を暴力的に弾圧するよう命じた犯罪者であった。西側はカザフ人やリトアニア人が死んでも気にしないので、彼は西側で喝采を浴びた。彼が法廷で裁かれなかったのは残念なことだ。
ゴルバチョフ・マニアという悲しい現象は、深く、しっかりとした研究が必要だ。ゴルバチョフに対する西側の魅力は、ポストソビエトのいくつかの国で見ることができるピノチェトに対する魅力を思い出させる。血なまぐさい犯罪を白紙に戻し、完全に偽のイメージを作り上げている。
ゴルバチョフは最後の瞬間までソビエト連邦を救おうとした。彼は、リガとトビリシで行われた血の浴場と、チェルノブイリ原発事故の隠蔽に個人的な責任がある。ソ連崩壊の唯一の要因は、彼が弱かったということだ。彼は自由の擁護者ではない。
そして忘れてはいけないのが、ゴルバチョフがチェルノブイリの嘘をついたことだ。彼の下で、何千人ものキーウの子供達が、平和的な絵を描くために、放射能雲の下での5月1日のパレードに参加することを強制された。何百人ものKGB諜報員がキーウに送り込まれ、(危険)警告する者を全員無力化した。
ゴルバチョフは、アンドロポフが自ら育てた。KGBのトップであり、後に共産党書記長になった。冷笑的な殺人者。1956年のブダペストの虐殺者。ヨーロッパと中東のテロ組織のトップである。アンドロポフはゴルビを自分の王子として、そして後継者として選んだ。
ウクライナの詩と民族哲学ルネッサンスの伝説的存在であるヴァシル・ストゥスは、ゴルバチョフ書記長時代のソ連の労働キャンプで殺害された。
西側の政治家達は、ゴルバチョフを「暴力や戦車を使わなかった」「平和的な」人物だと賞賛しているが、実際には、彼は他の多くの国々に戦車を送ったので、「一等国には暴力を振るわない」という意味である。
Sergej Sumlenny :ドイツの政治専門家で、特にロシアと東欧の安全保障とエネルギー政策に力を入れている。2015~2021年、ドイツ・ハインリッヒ=ベール財団のウクライナ・ベラルーシ担当事務所長を務める。政治学の博士号を有する。
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