ロシア軍将校、「我が軍はウクライナ人を拷問した」と認める
BBC 2/2/2023の記事の翻訳です。
ウクライナ人男性が銃で撃たれ、強姦の脅迫を受けたという残忍な尋問の疑惑が、元ロシア軍将校によって語られた。
公然と話した最上級将校であるコンスタンチン・イェフレモフは、BBCの独占インタビューで、ロシアは現在、彼を裏切り者、離反者として見ていると語った。
ウクライナ南部のある場所では、「尋問や拷問が1週間ほど続いた」と言う。
「毎日、夜、時には1日に2回も。」
イェフレモフは何度も軍を辞めようとしたが、結局はウクライナに戻ることを拒否して解雇された。現在はロシアから国外へ逃げている。
イェフレモフから提供された写真と軍文書を使って、BBCは彼が戦争初期にウクライナ(メリトポリを含むザポリージャ地方)にいたことを確認した。
コンスタンチン・イェフレモフの顔が私のパソコンの画面にちらりと映り、私達は話し始めた。彼は、語るべき物語を持つ人である。彼はつい最近までロシア軍の将校だった。
昨年ウクライナに派遣され、そこで目撃したという犯罪(ウクライナ人捕虜に対する拷問や虐待など)について、元上級中尉は私に話してくれることになった。彼は、同僚がウクライナの占領地で略奪を行ったことや、ロシア人大佐が主導した残忍な尋問で、男性が撃たれたり、レイプされると脅されたりしていたことを話す。
2022年2月10日、イェフレモフは、9年前にロシアに併合されたウクライナの半島、クリミアに到着したと言う。彼は第42機動小銃師団の地雷除去部隊の隊長で、普段はロシアの北カフカスにあるチェチェンを拠点にしていた。彼は部下と一緒に「軍事演習」に参加するために派遣されたと言う。
「戦争になるとは誰も思っていなかったし、みんな訓練だと思っていた。上官も知らなかったでしょう。」
「辞めるのが怖かった」
イェフレモフは、ロシア軍が軍服に識別マークをテープで貼り付け、軍備や車両に「Z」の文字をペイントしているのを見たことを思い出す。数日のうちに、「Z」はクレムリンが「特別軍事作戦」と呼ぶもののシンボルになっていた。
イェフレモフは、「もう関わりたくない」と言い切る。
「辞めることにしたんです。司令官のところに行き、自分の立場を説明しました。彼は私を裏切り者で臆病者と呼ぶ上級士官に所に連れて行きました。」
「銃を残して、タクシーに乗り込み、走り去りました。私はチェチェンの基地に戻り、正式に辞職しようと思ったんです。その時、仲間から警告の電話がありました。」
「大佐は私を脱走罪で最大10年間刑務所に入れてやると言って、警察に通報しました。」
イェフレモフは、軍の弁護士に電話したところ、引き返すように勧められたと言う。
「今になってみれば、それを忠告を無視して走り続けるべきだったと思います。」「でも、刑務所に入れられるのが怖かったんです」と彼は言う。
そして、仲間のもとに戻った。
イェフレモフは、自分は「反戦派」だと言い張る。ロシアのクリミア併合にも、9年前にドンバスで戦争が始まった時にも、ウクライナ東部で戦っていないと断言する。
2014年、ロシアは同地での分離主義者の蜂起を指揮しただけでなく、自国の軍隊を送り込んだとして非難されたのだ。コンスタンチンは、ロシアのシリアでの軍事作戦にも参加していないと話す。
「この3年間、私は2つの戦争を経験したチェチェンで地雷除去に携わってきました。そこで行った仕事は、人々のためになったと思っています。」
自転車や芝刈り機を略奪
イェフレモフは、ライフル小隊の臨時責任者に任命された。ロシア軍の侵攻から3日後の2月27日、占領下のクリミアから北上するよう命じられたと言う。彼らはメリトポリに向かった。
その後10日間は、すでにロシア軍に占領されていた飛行場で過ごした。彼は、自分が目撃した略奪についてこう語る。
「兵士と将校は、できる限りのものを手に入れました。飛行機の上に登り、全ての建物を調べました。ある兵士は芝刈り機を持ち去りました。彼は『これを持って帰って、兵舎の横の草を刈るんだ』と誇らしげに言っていました。
「バケツ、斧、自転車......全部トラックに積み込んみました。しゃがまないと入りきらないほどの荷物です。」
イェフレモフは、メリトポリ空軍基地で撮ったという写真を送ってくれた。輸送機と炎上する建物が写っている。
これらは、イェフレモフの身元、階級、2022年春のウクライナでの行動を確認するために、彼が共有し、我々が検証した数多くの写真や文書の一部である。
オンライン地図ツールでメリトポリ空軍基地の画像を確認した。
1カ月半、指揮下の8人の兵士と一緒に、ロシアの砲兵部隊を警護した。
「ずっと外で寝てたんです。」と彼は(当時を)振り返る。「腹が減って、ウサギやキジを狩り出していたんです。ある時、屋敷に出くわしたのですが、中にロシアの戦闘員がいたんです。“我々は第100旅団で、今ここに住んでいる”とその兵士は言いました。
「食料はたくさんあり、冷蔵庫は満杯でした。核戦争が起きても生き延びられるだけの食料がありました。でも、そこに住んでいる兵士達は、外の池にいた日本の鯉を捕まえて食べていたんですよ。」
私は尋問と拷問を見ました
コンスタンチン・イェフレモフのグループは4月、メリトポリの北東にあるビルマクという町で、彼が言うところの「兵站本部」を守るようになった。そこで彼は、ウクライナ人捕虜の尋問と虐待を目撃したと言う。
ある日、3人の捕虜が連行されてきた時の事を振り返る。
「そのうちの1人が狙撃兵であることを認めて、それを聞いたロシア軍の大佐は気が狂いそうでした。彼は捕虜殴り、そのウクライナ人のズボンを下ろして、結婚しているかどうか尋ねました。」
「はい 」と捕虜は答えると、「それなら誰かモップを持ってきてくれ。お前を女に変えて、カミさんにビデオを送ってやると」大佐は言いました。
また、イェフレモフによれば、大佐は捕虜に、自分の部隊にいるウクライナ人民族主義者の名前を全て挙げるよう求めたと言う。
「ウクライナ人はその質問が理解できなかった。彼は、その兵士はウクライナ軍の海軍歩兵だと答えました。その答えのために彼らは(その海軍歩兵の)歯を何本か折ってしまった。」
クレムリンはロシア人に、ウクライナではロシアはファシスト、ネオナチ、超国家主義者と戦っていると信じさせたいのだ。この誤ったシナリオのせいで、ロシア国民と軍部の目には、ウクライナ人は人間性を失われていると言う様に映っている。
イェフレモフによれば、ウクライナ人の捕虜は目隠しをしていた。
「大佐はピストルを捕虜の額に当て、『3つ数えてから頭を撃つぞ』と言った。」
「彼は数えてから頭のすぐ横、両側を撃ちました。大佐は彼に向かって叫び始めたので、私は「同志大佐!彼には聞こえない、耳が聞こえなくなったんですよ!」と言いました。
大佐は、ウクライナ人に水とクラッカーだけで、普通の食事は与えるなと命令したと、イェフレモフは言う。でも、「熱いお茶とタバコを与えるようにした」と言う。
捕虜が裸の地面で眠らないように、「夜、誰にも見られないように」部下が干し草を投げてやったと、イェフレモフは回想する。
別の尋問では、大佐が捕虜の腕と右足のひざ下を撃って、骨に当たったという話もある。コンスタンチンは、彼の部下が捕虜に包帯を巻き、(大佐は狂っていたので)ロシア軍司令官のところに行って、捕虜は病院に行く必要がある、さもなければ失血で死んでしまうだろうと言った。
「私達は彼にロシアの軍服を着せて、病院に連れて行きました。我々は捕虜にこう言いました。"ウクライナの捕虜だと言うな。医者が治療を拒否するか、負傷したロシア兵に聞かれたら、(そいつらに)撃たれ、我々にはそれを止めることができないからだ"
国連の人権事務所は、ウクライナ戦争で捕虜が虐待された事例を記録している。ウクライナ人、ロシア人合わせて400人以上の捕虜にインタビューしている。
「残念ながら、捕虜に対する拷問や虐待が双方で起きていることがわかりました」と、国連のウクライナ監視チームの責任者マチルダ・ボグナーは言う。
「違反行為を比較すると、ウクライナ人捕虜に対する拷問や虐待は、監禁のほぼ全ての段階で起こっている傾向があります。そして、ほとんどの場合、ロシアや占領下のウクライナの多くの地域で、抑留の条件が悪くなっています。」
ウクライナ人捕虜に対する最悪の拷問や虐待は、通常、尋問中に起こるとボグナー女史は言う。感電死や、吊るし上げや殴打など、あらゆる拷問を受ける可能性があると言う。
「収容所に到着すると、いわゆる歓迎の殴打を受けることが多いのです。また、食事や水が十分でないこともよくあります」と彼女は付け加えた。
ロシア人捕虜も、殴打や感電の被害を受けたと報告している。
「いかなる形態の拷問や虐待も国際法では禁止されています」とボグナー。「どちらの側であっても、このような行為は容認できません。」
BBCは、Konstantin Yefremovの拷問に関する
具体的な主張を独自に確認することはできなかったが、ウクライナの囚人に対する虐待に関する他の主張と一致している。
ロシア国防省は、コメントを求めたが、すぐに返答はなかった。
裏切り者、脱走兵として非難される
イエフレモフは、やがて鉱山開発部隊に戻ることになっていたが、それも長くは続かなかった。
「私達7人は、軍を去る決心をしたんです」と彼は言う。
月末、チェチェンに戻った彼は辞表を書いた。上級将校の何人かは不満そうだった。
「彼らは私を脅し始めました。ウクライナで1日も過ごしたことのない将校達が、私のことを臆病者だ、裏切り者だと言ってきたんです。辞表を出すことを許してもらえず、私は解雇されました。」
イェフレモフは、軍からの手紙を見せてくれた。
最初の文書では、「職務怠慢」と「ウクライナへの帰国命令無視」で告発されている。これは「重大な規律違反」とされている。
2通目は、イェフレモフの「契約違反による...早期除隊」について書かれている。
「10年勤めた後、人を殺したくないという理由だけで、裏切り者、脱走兵と糾弾されました」と彼は言う。「でも、もう自由人になったんだから、殺したり殺されたりすることはないだろうと思うと嬉しかったです。」
コンスタンチン・イェフレモフの解雇
ロシア軍は彼をウクライナに送り返そうとした。
イェフレモフは、軍を辞めていた。しかし、再び戦場に送られる危険性がなくなったわけではない。
2022年9月、プーチン大統領は「部分動員」と称する宣言をした。何十万人ものロシア国民が徴兵され、ウクライナに送られることになる。
イェフレモフは、すでにウクライナで兵役に就いていたため、放って置いてはくれないと思ったと言う。そこで彼は、ある脱出計画を思いついた。
「警察や入隊者が召集令状を届けにドアを破って入って来たときのために、住んでいた家の屋根裏にハッチを作ったんです。」
「入隊係が車でやって来て、私を車内で待っていたんです。だから、アパートを借りて、そこに隠れていました。」
「近所の人達からも隠れていました。近所の人が、徴兵されて隠れている若者のことを警察に話したという話も聞いたことがあったからです。この状況は屈辱的で受け入れがたいものでした。」
イェフレモフは、ロシアの人権団体「Gulagu.net」に連絡し、ロシアを離れる手助けをしてもらった。
プーチン大統領のウクライナ侵攻を支持するロシア人(たくさんいる)は、イェフレモフにとってどう映るのだろうか。
「彼らの頭の中はどうなっているのだろう。どうやったら騙されるんだろう?」と彼は言う。「市場へ行けば、騙されるかもしれないと分かっている。自分の妻も夫も信用しない。」
「しかし、20年間も彼らを騙してきた男が、たった一言言うだけで、この人達は殺しに行くし、死にに行く。理解できないですよ。」
話を終えて、イェフレモフはウクライナの人達に申し訳ないと言った。
「招かれざる客として、武器を手に彼らの家に行ったことを、ウクライナの国民全員に謝ります。」
「誰も傷つけていないことを神に感謝します。誰も殺していない。殺されなかったことを神に感謝します。」
「ウクライナ人に許しを請う道徳的権利もないです。私は自分自身を許せないので、彼らが私を許してくれることを期待することなど出来ません。」