ほろ酔い程度で生きていく。
初めて、私の身体に抗がん剤が注入されたあの日から一年が経つ。
黄金色の抗がん剤に「頼んだよ、相棒」と、体内の白血病細胞を消す手伝いをお願いしてから一年だ。
あまりに非日常な出来事が多かった2020年だったから、あの日から「もう一年」というべきか、「まだ一年」というべきか迷ってしまう。そして、不思議なもので、ちょうど一年前に始まった、七ヶ月に渡る治療を振り返ってみると、実は記憶が少し曖昧で、自分が白血病であったことが夢だったのではないかと思ってしまうことすらある。もちろん、全て嘘でも夢でもなく、当時の日記には治療中の心と体の変化がぎっしりと書いてある。不快感で眠れない日々のこと、逆に吐き気止めが効きすぎてほとんど起きていられなかった日のこと、「ちょっと血液検査に行ってくるね」から、気がついたら救急車に乗って緊急入院した日のことなど、色々しっかり書いてある。夢どころか、きっと白血病患者として、一通り基本的なことは経験したのだと思う。
それなのに、どうしてこんなに記憶が曖昧なのか。
理由を時々考える。純粋に、普段なら絶対に飲まない量の薬を服用してたからか。その瞬間ごとの自分の心と身体にマインドフルに向き合う生活をしていたから、全体像として捉えた時にぼやけてしまうのか。みんなの愛とサポートに守られて、暖かいバブルの中で生活していたから、ふわふわした感覚だけが残ったのか。
それとも、辛かった記憶、トラウマとして、頭が無意識に忘れようとしているのか。いや、歳のせいで普通に記憶力がないだけか。正直答えはわからない。
でも、あれから一年が経った。
いま
そして、私は元気だ。先日、ピラテスをやりながら、携帯に送られてきたメッセージをみようとして、ぎっくり腰になっている以外はいたって元気だ。体調が悪かった時はピラテスもできなかったから、今は、ぎっくり腰になるほど元気ということだろう。
年末に雪山のリフトの上で夫が言った。「嬉しいね。こうやってまたスノーボードできてるなんて。10ヶ月前に死んでたかも知れないのに。」確かにそうだ。もしあの時、日本帰国のついでにとたまたま人間ドックを受けなかったら、私は自分の病気に気が付かなかったと思う。次第に様々な症状が出てきても、「歳のせいだ」「運動不足だ」と勝手に理由をつけ、苦手な病院には行かなかっただろう。だから、私が今ここにいるのは、まさに奇跡であり、大きな力によって守られて生かされたからだと思うのだ。
我が家の恒例行事の一つとして、大晦日には海に行き、その年最後の夕日に一年のお礼を伝えた。残念ながら、あいにくの天気で、実際の太陽は見えなかった。しかし、季節に関係なく半袖短パンで波と戯れる我が子を眺めながら、少し胸が熱くなった。そして、考えてみた。
私は一年前、白血病であると言われた時、治療をするという前提で一つ一つ必要な決断をした。でも何故「治療をしない」ということを、選択肢の一つとして考えもしなかったのか。
副作用のある治療と引き換えに、私が守りたかったものは何か。
治療の先にどんな景色を見たかったのか。
そして、私は救われた自分の命とこれからどう生きていきたいのか。
とりあえず飲んでみる
子供の頃、無性に好きだった歌がある。それを聞くだけで、歌うだけで、いつの間にかハッピーな気分になり、自然と笑顔になる歌。どこで初めて聞いたのか、誰から聞いたのか覚えてないけれど、いまでも口ずさんでみると当時と同じように、なんだか嬉しくなる歌。
それが、日本全国酒飲み音頭。
岡本圭司さん作詞、ベートーベン鈴木さん作曲のバラクーダの歌う酒好きの歌。子供だった私は、失礼ながら誰が歌っているとか誰が作ったとかにはあまり興味がなかったものの、とにかく歌の内容が好きだった。
1月は正月で 酒が飲めるぞ
酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ(以下同じ)
2月は豆まきで 酒が飲めるぞ
3月はひな祭りで 酒が飲めるぞ
4月は花見で 酒が飲めるぞっと
5月は子供の日で 酒が飲めるぞ
6月は田植えで 酒が飲めるぞ
7月は七夕で 酒が飲めるぞ
8月は暑いから 酒が飲めるぞ
9月は台風で 酒が飲めるぞ
10月は運動会で 酒が飲めるぞ
11月は何でもないけど 酒が飲めるぞ
12月はドサクサで 酒が飲めるぞ
衝撃的だった。
一年中飲んでるし。
ちなみに、私はお酒が飲めない。弱すぎて、瓶ビールの首の部分に入っている量で酔ってしまうほどだ。メインの部分にたどり着けない。ついでに、家族全員飲めない。それなのに、子供心に、この一本筋の通った飲んべえぶりが、妙にかっこいいと思ったのだ。そして、今でもそう思う。
こんな生き方もあるんだ。こんな生き方でいいんだ。
理由なんてどうでもいい、飲めるときに飲む。というより、また飲んでる自分を正当化するために、理由を見つけて自分の「好き」を突き進む。とにかく、気持ちいい。ハッピーが溢れている。
そしてこれを歌う大人から感じる、茶目っけ。なんてったって12月なんて「どさくさ」で飲んじゃうくらいだから。そのなんとも言えないキュートさが、さらに笑顔を誘う。ガハハと笑いたくなるというより、クスクスって笑いたくなるような、微笑みたくなるような気分になる。
兎にも角にも、この歌が好きだ。
私の生き方
話を大晦日に戻そう。
そう、一年最後の(雲の後ろにある)夕日を見つめながら、「これからどう生きていこうか」考えていたあの時。なぜか頭に浮かんだのがこの曲だった。手にしていたのはホットレモネードなのに、頭の中では全快で酒飲み音頭が流れていた。
そうだ、これなんだ。
私のこれからしていきたい人生はこれなんだ。
もちろん、いきなり酒飲みになって、毎月晩酌していこうというのではない。でも、この歌の酒好きのように、毎月、いや毎日、しっかり自分の「好き」を大切にして、たくさん笑って愉快に生きていきたいと思ったのだ。
自分の好きなこと、したいことは多くの場合、しなければいけないことに優先順位を奪われ、どんどん先送りにされる。でも、私たちだって気持ちいいくらいの飲んべえになっていい。大の酒飲みが毎月理由をつけて飲んでいるように、私たちも自分を甘やかしていい。
一月は正月で、昼間から長湯できるぞ。
二月は豆まきで、幼なじみとお茶ができるぞ。
三月は雛祭りで、二度寝できるぞ。
四月は花見で、読書できるぞ。
五月はこどもの日で、子供ととことん遊ぶぞ。
大袈裟なことじゃなくてもいい。もっともっと好きな事をする時間を、自分に優しくする時間、わくわくする時間、嬉しくなる時間を持っていいと思うのだ。毎月と言わず、毎日だって理由を見つければいい。昼寝好きの私は、思う存分歌えばいい。
今日は、抗がん剤投与から一年経ったから、昼寝できるぞ。
明日は、抗がん剤投与から一年と一日経ったから、昼寝できるぞ。
明後日は、抗がん剤投与から一年と二日経ったから、昼寝できるぞ。
昼寝できるできるぞ、昼寝できるぞ。♪
本当は、自分の「好き」を大切にするのに、自分を甘やかすのに、理由なんていらない。私たちの存在自体が奇跡であり、1秒長く生きていることは、それだけで酒を飲んででも祝う価値のあることだ。好きなこともどんどんすればいい。
でも、日々の「普通」に飲み込まれてしまうと、そんな当たり前を忘れがちになってしまう。それこそ、理由を見つけてしまうのだ。「忙しい」「子供がいるから」「旦那は家事をしないから」「お金がかかるから」。自分の気持ちと自分の好きを無視する理由は、びっくりするくらい簡単に見つかる。
でも、結局自分に優しくできないのは、不必要な自分のこだわりや、自分にかせた「こうあるべき」という重荷のせいかもしれない。でもそれを認めずに、ついつい言ってしまう。自分が忙しいのは〜のせい。子供のせい。旦那のせい。お金のせい。そうして、自分の人生なのに、本当は自分のせいなのに、一ヶ月に一回も飲んべえが手にするような楽しい時間を持たずに終わってしまう。
だから、私は決めたのだ。
これからは今まで以上に、自分の好きと向き合い、好きを全うする時間をしっかりと取る。何かや誰かのせいにして自分を後回しにするのではなく、きちんと理由を見つけて、理由がないときにはドサクサに紛れてでも、ちゃんと自分に優しく生きる。自分の心に栄養を与える。そして同時に、実は自分の周りにたくさん溢れている、祝うべき理由に気づく。些細な幸せに気付けるくらいの敏感さを持つ。
責任を持って、自分の人生を生きる。
そして、他人の好きと、他人が自身に対して持つ優しさもしっかり尊重する。そうしたら、きっとみんなで愉快な酔っぱらいになれるような気がするから。個人的には、ガハハと大笑いする機会も好きだけど、それ以上に、毎日何かしらに幸せを感じて、微笑んでいられるような生き方をしていきたい。
そうだ、ほろ酔いぐらいが丁度いい。
私、ほろ酔い程度で生きていきます。
これが、一年前に癌を宣告された、43歳私の酒飲み宣言だ。
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お酒の飲み過ぎは身体に良くないので、実際には身体に優しい方法でお祝いするのがいいですね。うーん、やっぱり昼寝かな。