<白血病くらし> 治療中に「したこと」リスト。癌との付き合い方。
2020年の初め、家族旅行中にいきなり癌を宣告され、治療に突入することになりました。寛解に至ったのち、少しずつ書きためている私の体験談。今回は、私の独断による・・治療中に「すべきこと・すべきではないこと」について書いてみます。
「べき!べからず!」と、かなり偉そうに書き出してみましたが、何を隠そう、私も一年ちょっと前には自分が癌になるとも想像もしていなかった訳で、白血病も映画やドラマの世界のことで、それこそ全くの他人事でした。医療の深い知識があるわけでも、心を鍛えるために滝に打たれて修行した経験があるわけでもありません。ですから、「すべきこと」と切り出してみましたが、これは白血病の治療を行なっていた間、実際に私が治療中に「していたこと」「しないようにしていたこと」リストです。
まず今回は、「していたこと」から。ちなみに、「しないようにしたことリスト」はこちら:
Dos(すべきこと・したこと)
以前、治療中に私が毎日の習慣的に行っていた事について書いてみましたが、今回はどちらかというと治療中の心構えや、癌との付き合い方、自分の心への向き合い方などを主に書いてみたいと思います。実際、ありきたりの事が多いです。しかし私は、こんなありきたりの事に改めて意識を向ける事で、自分自身に敏感になり、自分の心を汲み取りやすくなりました。ある日予期せずに始まった癌との暮らしが、少しでも快適であるように、私がしたことたちの記録です。
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信じる
まずは何よりも、自分を信じることが大切のように思います。自分の治癒力を信じ、治るという前提で治療を行う。みんなが私に治ってほしいと思っていてくれている、その想いと愛の力も信じる。私は大丈夫、家で待っていてくれる家族もきっと大丈夫。その確信はきっと現実になるのだと思います。私は、それを信じて過ごしていました。
病気と治療について学ぶ
ある日いきなり癌と宣告され、自分の知識と心がそのスピードについていく間もなく、治療が始まることもあります。私の場合もそうでした。しかしその中でも、自分の病気について、治療法について、治療のオプションについてしっかりと調べて理解するようにしました。癌が存在しているのは、他でもなく自分の身体です。自分の体にどのような影響を及ぼす癌がいて、治療中にどのような薬が投与されるのか。それをしっかり理解し、納得して治療を行うように心がけていました。
新しい薬を投与される時は、本当に必要な薬なのか。まずは少量から初めて、体の反応を見ることができないか。代用となる他のオプションはあるのか。などと毎回確認をするようにしました。薬による吐き気の副作用がひどい場合、その吐き気を止めるために追加で吐き気留めを飲むのではなく、初めの薬の量を減らせないか。最低限必要な薬はどれなのか。ただ言われたことを鵜呑みにするのでもなく、自分の体に入れるものに対しての自己決定権を持つようにしました。
めんどくさい患者にはなりたくないと思うかもしれません。でも、どんな風に他人に思われても、自分の身体に起こることで、一番影響を受けるのは、自分自身であるということを常に心においておきました。
医師と信頼関係を築く
上記のように、しっかりと自分の治療への理解を示し、希望を伝え、どの部分で融通が効き、どの部分は必要不可欠な治療・薬なのか。そのような質問を気兼ねなくでき、納得できるまで話し合えるような関係を医師と築くことは何より大切だと思います。そして、話し合いを基に治療を共に決定し、最終的にその医師を信頼できる。そのような医師を見つけることは必要不可欠なのだと思います。
私は、時間がないと言われる中、白血病専門医二人と、自然療法士三人と話をしながら自分の納得する治療法を決定しました。
ちなみに、自然療法的アプローチについては、こちらにまとめてあります。
看護師の方と丁寧に向き合う
入院中は、看護師の方がバイタルサインの確認や、輸血のため、薬を届けに、と1日を通して何度も訪問してくれます。たとえそれが、友人がお見舞いに来てくれている時でも、本を読んでいる時でも、何をしている時でも、その時は手を止めしっかりと看護師の方と向き合うようにしました。看護師の方によっては「本を続けてくれていいのよ」などと言ってくれたりもしましたが、それでも仕事とはいえ私のことを気にかけてくれている看護師の方への感謝と礼儀は忘れないようにしました。
また、看護師の方は他の患者さんの多様なケースに対処して来た経験があります。だから、普通の会話を通して自分にも使える副作用の対処法や治療のヒントが得られることがあったり、オススメのポッドキャストの紹介をしてもらうこともありました。そして、看護師の方と仲良くなり様々な話ができるようになると、純粋に看護師の方の訪問が楽しくなり、検査の時間が親しい人と会話をするような時間になり、看護師さんたちのいろいろな人生を垣間見ることができました(笑)。
マインドフルでいる
治療中の心と身体は、まさにローラーコースターのようと言われるほど、絶え間無く変化することがあります。実際、私もちょっとした寒気を空調のせいにしていたら、その直後に熱が40度まで急上昇し、緊急入院したこともありました。とてつもなく心が暖かく感じるときも、急にさみしくなることもありました。
常に、自分の心と身体(これ、本当に両方に対して!)に敏感であること、どんな状態でも変化に気づき、受け止め、必要であれば対処すること、それが大切だったように思います。
抗がん剤を味方にする
入院前に医師に「抗がん剤を味方につけるように」と言われました。抗がん剤と仲間になって、一緒に直していこうじゃないか!と思いながら、体に注入される抗がん剤は、自分を苦しめるものではなく、自分の体をいたわるために力を発揮してくれると。確かに抗がん剤の副作用で辛いことは起こるのですが、それでも抗がん剤に嫌悪を示すのではなく、抗がん剤ががん細胞に働きかけてくれた結果なんだと受け止めるような心構えでいるようにと言われ、私はそのように捉えるようにしていました。実際に、この心持ちが役にっ立ったのかはわかりませんが、抗がん剤に対して穏やかに向き合えたのは事実です。
笑う
これ、科学的にも証明されていることですが、笑う事によって人はより効果的に自身の免疫力を発揮できるそうです。なので、体が疲れてだるいとき、気持ちがなんだか乗らない時などは、ゆっくり休むのも大切ですが、ゴロンとしながら友人の送ってくれたオモシロ動画を見たりしていました。久しぶりに見て、大爆笑したのは、「さんまのからくりテレビ ご長寿早押しクイズ」。何度吹き出したことか。いや、笑った、笑った。
チームを作る
以前の記事にも何度も書いてきましたが、治療は子供を含めた家族、友人、医療関係者の方々すべてを巻き込んで、チーム一丸となって治療に望む事が大切だと思います。病気になったという事や、非日常の日々を巻き起こしたことに対して、どこか引け目になり、人に話す事をためらうと思う方もいるようですが、私の場合、みんなを巻き込む事で何よりも多くの支えをもらうことができました。初めて向き合う白血病の知識、治療について、食事について、代替療法のこと、子供の心のサポートの仕方、それこそ上記に書いたオモシロ映像のリンクまで、みんな自分が得意とする事を共有してくれました。その事で助けられ、私の負担が純粋に減っただけでなく、何よりも「私は一人じゃない」と思えることからもらう心強さは何よりの薬でした。
参考までに、子供に癌について伝え、彼らとチームになる方法を書いた記事はこちらです。
ちなみに、どうせなので「不安」になるという部分も他のだれかに任せてしまっていいと思います。周りのみんなは回復を心から祈っていてくれましたが、同時にすごく不安だったと思うのです。不思議なもので、人は自分の大切な人が困難に直面していると自分にそれが起きた時よりも不安になるように思うのです。だからこそ、どうしたってみんなどこかで不安に思ってしまうのなら、それはもう彼らに委ねてしまっていいと思うのです。そして、「不安になるのは私の担当ではない。私な自分を信じて自分に向き合うのが担当。」と割り切る。それでいいのだと思います。
休む
休めるときに、休む。無理をしない。休みたい自分、無理をしそうな自分に気づいてあげる。すごく大切なことで、当たり前のことのようですが、意識しないと忘れがちになってしまうことでした。
吐き出す
日記にこっそりでも、仲の良い友人にメッセージででも、パートナーに露骨にでも、自分の気持ちを外に出すようにしていました。気持ちは溜めてしまうと、心の中で、ぐちゅぐちゅと熟成が始まって、ぐちょぐちょとしてくることがあります。その発酵の進み過ぎてしまった気持ちは、ただでさえ色々とある治療中にはなくていいもののような気がします。だからこそ、自分の気持ちは新鮮なうちに外に出すこと、それが必要でした。
とことん落ち込む
悲しい時も、落ち込む時もありました。ただ、そんな時は、無理をしないでちゃんとそんな気持ちも否定せずに、受け止めるようにしていました。とことん落ちてみると、上がってくるしかないので、妙にスッキリした気持ちになったのを覚えています。そうすることで、冷静にその先の作戦プランを立てられるようになったものです。
嫌なことにNoという
治療が開始して、自分の心と前以上に向き合うようにしたら、なぜかわからないのですが、「したいこと」よりも「したくないこと」をはっきりと感じるようになりました。「あ、今日は食事を作りたくない」「いまは人と話したくない」「今日はお見舞いに来て欲しくない」など。そんな時、相手の反応を気にしたり、遠慮をしたりせずに、素直に気持ちを口に出し、自分の気持ちを尊重するようにしました。
自分の気持ちに寄り添い、しっかりと嫌なことにNoと言ってみることは自分へのいたわりだと思うのです。自分自身から明らかな優しさを受け取ると、不思議なもので、それが自分からであってもやはり嬉しいもので、それだけで(単純な私は)微笑みたくもなったものです。そして、「嫌」と思ったことと距離をおくことで、少し体が軽くなり、「その代わり今は何がしたいかな」と言うことに目が向くようになりました。
遊ぶ
体調がいい時、特に子供達ととことん遊ぶようにしました。コロナ禍で、制限があったため、どこへでもというわけにはいきませんでしたが、行きたいところにも出来る限り行くようにしていました。お陰様で、癌患者でしたが、山、川、海、砂漠と、安全には注意しながらも、割と色々なところでキャンプ、ハイキング、潮干狩りなど、遊んでいたように思います。
今までは、子供と一緒にいても家事をしながら相手をしたり、携帯を見てしまったり、子供が遊んでいるのを「見守る」という立場を取りがちでしたが、病気が発覚してからは、子供と一緒にとことん遊ぶだけの時間を取るようにしました。そして、自分自身の時間もしっかり楽しむようにしました。
治療中私は、「死」と言うものを意識していたわけでがありません。しかしながら、死ぬ前にやっておきたいバケットリストのようなものを作ったとして、そのリストに載せるようなやりたいことは、死を意識してなくてもやりたいなと思ったのです。死ぬ前だからやってみようでなく、生きているうちに、今やっておきたいこと、今できることをきちんとやりたいと思っていました。
私のやりたいことリストが大げさなものでなく、「もっと笑っていたい」とか「マウントフッドを見ながらハイキングをしたい」とか、「子供に縫い物を教えたい」など、割と実現可能だったからというのもあるかもしれません。でも、自身の病気が発覚し、歴史的パンデミックが発生し、今まで以上に、私たちの幸せはそんな些細な日常の積み重ねから生まれると再確認していたものです。
遊ぶだけでなく、子供とたくさんのお話もしました。これも、「死ぬ前に伝えておきたいこと」のような大切なメッセージがあるのであれば、死を意識していない時にでも、伝えられる時にしっかりと伝えておきたいなと思ったのです。
そして何よりも
詰まるところ、上記の全てに言えることなのですが、「感謝」と「敬意」を忘れないようにしていたのだと思います。ここまで生きてきた、今までの人生を可能にしてくれた自分の体に感謝をし、労る。自分を作り上げてきた自分の心に感謝をし、どんな感情でも気付き、受け入れる。周りの人の助けに感謝をし、だからこそ本音で、本気で向き合う。「今」に感謝をし、その分しっかりと今を生きる。
だから、治療が終わった今も、私は白血病に感謝をしています。いや、かからないと言う選択肢があるのなら、その選択をします。しかしながら、多くのことを学び、みんなの愛に触れ改めて自分の人生を愛おしく思う機会を与えてくれたことには、本当に感謝をしています。
今、病気で苦しんでいる人や、それを見守る人たちにとっては、病気も癌も感謝することとは思えないのかもしれません。こんなことを書きながら、もし私も再発をしたら、もう一度感謝できるのか正直わかりません。きっと、裏切られたような感情すら起きるかもしれません。確実に、初めて癌を宣告された時よりもショックだと思います。
でもそうだとしても、やはり落ち込むだけ落ち込んだ後、今生きていることに感謝をし、落ち込むほど失いたくない自分の人生があること、離れたくない家族や友人がいることに感謝をするのだと思います。
そして、また「ご長寿早押しクイズ」をみて笑うのだと思います。
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これは、ある日突然、急性骨髄性白血病との告知を受け、「白血病治療中」という新生活を始めた私が、寛解に至るまでの7ヶ月間、どのように癌と向き合い、毎日をより快適に過ごすために何をしたのかなど、「白血病暮らしのヒント集」としての記録です。自分の価値を押し付けたいのではありません。こんなことを感じて、実行した人がいたということを知ることで、何かのお役に立てたら幸いです。
これらの記録は医学的根拠に基づくわけでもありません。一口に白血病と言っても、それぞれの体調や置かれている立場は様々であり、これらのことが全ての人に当てはまる、役に立つとは限りません。それどころか、時には寧ろ治療の妨げになってしまうこともあるかもしれません。そのことをご理解の上、あくまでも参考程度に読んでいただけたらと思います。