過程重視と成果主義
日本の美しいところは過程重視だと思います。
プロセスで頑張っていたら、結果はどうであれ、そこから得られるものもあるでしょうし、結果が出なかった場合の救いにも逃げ場にもなります。
反面、世界では、成果主義のところが多いですね。
途中経過はどうであれ、成果さえ出していればそれでよしとする。
これだと、子育て中の人や副業をしたい人なんかはやりやすいんじゃないかと思います。
私は後者派で、成果を出せばあとは自由にさせてほしいと思うのですが、なかなかそれは受け入れられないようです。
小学校では、いろいろなやり方を模索して、自分なりにゴールを目指すという教育をしていますが、中学に入ると、突然、画一的な教育になり、同調圧力に屈しなければならなくなります。
それが社会人になるとまた成果主義的な評価が待っていて、シビアに賃金という形で反映されます。
そして「普通」「標準」を求めて、成果が出せない人にも光を当てようとします。
それって、本当に成果が出せない人の救いになってるのでしょうか?
人それぞれに成果が出せる分野があるのに、そこに気づく機会を奪っていたり、成果が出せなくても、楽しくてやりたいという人を否定しているのでは?と感じたりします。
できない人を援助する、というのは昭和の発想で、できないことは恥ずかしいことでもなんでもなくて、違う能力を見つけるチャンスだというほうがよっぽど建設的で、その人を尊重することになっているように感じます。
たしかに行きすぎた成果主義は、人間性を損なう恐れもあります。
ですが、そこで、成果が出せなければ、他のこと、他のところで、という機会を作り出してくれるように思うのです。
ある意味、昭和の日本では、そうでないほうが都合が良かったのだと思います。
過度な過程重視は、ムダな思い込みを生んで、がんじがらめにする、自分を生かせる場をもっと貪欲に探ることがスタンダードになればいいのに、と思います。
あくまで個人の見解です。