個性的であること

平凡でいわゆる平均的な子ども時代を過ごしてきました。

高校時代に物事を多面的に見ること、自分や他人を客観的に見ることを学び、個性について、考えたときがあります。

個性を調べると、個人や個体が持っている特有の特性や特徴とあります。

そもそも、私たちには個性があるのでしょうか。

性善説の立場に立てば、私たちはこの世に生を受けたときには、何にも縛られず、何の制約も受けず、動物の人間としての本能と、個体としての特徴だけを持っていると考えられています。

成長とともに、親や接触する他の個体からさまざまなことを学びます。

さらに成長すると、組織にはめこまれます。
学校では、みんな同じ、画一的で標準的であることを教わり、社会のルールを学びます。

叱られたり、注意されたり、周りの子どもたちから笑われたり。

個性的であることは"異質なもの"と捉えられ、子どもの無知が故の残酷さで、ソリッドされていきます。

自分の身を守るため

みんなと同じであることに安心感を覚え、人と違うことに恐怖を覚えることさえ。

長い学校という組織での訓練を終え、社会に出ると、今度はそれぞれの組織のそれぞれのルールに適応するため、さらに個性は削ぎ落とされていきます。

自分の身を守るため

会議では黙って存在を消し、自分の意見を言わないことで、責任を回避できます。

個性は不要なもの
個性的であることは悪

いつの間にか、刷り込まれているように感じます。
平均値から外れたら、生きづらい社会って何だろう…と思います。

あくまで個人の見解です。



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蘭
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