チベットの旅
ある年のお正月。
思い立ってチベットに行きました。
10日間の短い旅でした。
チベットに行くにはパーミッションが必要で、個人旅行の場合、専属のガイドと運転手をつけなければなりませんでした。
私は中国語のガイドをつけ、セダンの運転手をお願いしました。
成都経由でラサに着くと、すでに3000メートル超え。
一緒に行った友だちは、そこでダウン。
高山病です。
私は…というと寒さに負けそうでしたが、すこぶる元気。
ラサでポタラ宮を見ようと出かけると、大きな犬が街中を闊歩し、その間を縫うようにポタラ宮に向かい五体投地する人々がいました。
聖地に向かう長くて過酷な旅を続けてきたのだと思います。
ポタラ宮の内部はまるで胎内のように低く狭く、薄暗く湿気っぽく、ろうそくの煙とお香の匂いが充満して、ちょっとしたトランス状態になりそうでした。
翌朝、ラサからさらに高地を目指しました。
目の前にそびえる山は、ちょっと見た感じでは、ほんの数分で登れそうに思いましたが、きっと丸1日かけても登れないほどの高さがあるはずです。
移動中は、エアコンの効かない車の窓の隙間から冷たい風が吹き込んできて、まるで地獄でした。
救いだったのは、ガイドさんと運転手さんがとてもいい人で、和ませてくれていたことと、あまりに美しく、言葉に言い表せない雄大な自然でした。
どこかで見たような景色にも思えるのですが、切り立った崖にはヤクやヤギがいて、たまに見える独特な寺院の形と色とりどりの旗が、そこが異国であることを思い出させてくれます。
ある時はテントで、ある時は暖房のないホテルで寝袋を2枚重ねにして過ごしましたが、氷点下20度を下回る夜はさすがに辛かったです。
途中の草原で、民家にお邪魔しました。
おじいさんと小さな女の子のお宅でした。
決して豊かとは言えない暮らしの中で、ヤクのふんと草を燃やして暖をとる暖炉と塩味の効いたヤギのミルクは旅をする私たちを温めてくれました。
女の子の両親はラサに出稼ぎに出ていて、年に数回しか帰ってこないそうです。
おじいさんは漢語ができませんでしたが、女の子は漢語が話せ、漢字が読めました。
学校に行っているそうで、計算や絵のノートを自慢げに見せてくれました。
私たちは女の子と折り紙をしたり、おしゃべりをしたりして、半日ほど過ごしました。
乾いた川にかかるつり橋を渡り車に戻ると、激しい悪寒に襲われました。
だるい体を抱え、旅の車はガタガタな道を走って行きました。
山の間に美しい青の湖がある見えました。
近くに行くと、湖はガチガチに凍っていて、湖の上を歩くことができました。
その頃にはさすがに震えが止まらなくなり、運転手さんにお願いして、近くの宿に泊めてもらいました。
その夜は熱に浮かされ、不思議な夢をたくさん見て、かなりうなされました。
きっとチベットの、その不思議な空気にやられたのだと思います。
成都に戻ったとき、まるでアスリートが高地トレーニングを終えた後のように体が軽く、0度を上回っているというだけで、空気が暖かく感じました。
日本に帰国すると、インフルエンザで1週間ほど寝込みました。
あれはきっと全てが夢だったのだと思います。
チベットでの出来事は全てが幻だったのだと思います。
それほどふしぎな旅でした。