妖怪談義(創作)3

ほうほう、雨じゃ。
これ幸いと蓑をしょって、しゅるしゅると
丸紋様出づる腰掛け石の傍らへと躍り出る。

にゃあぁぁん。
猫の泣き真似などして。
甘い粒、あまいつぶ、あまつぶ、ふふうふふ。
しとしとしと…しとしと、はぁ…はて?

これは妙だな。だぁれもおらぬのか?
いつもであれば───

「おばぁなら、死んだぞ」

後ろからきゅうり臭いワカメの声がする。
しゅるりと振り向くと、
やはり声の主は、磯臭い煮干しだ。

「嘘じゃねぇぞ。
 もうこの家には誰も住んでねぇんだ、
 緑青」

いつからそう呼ばれていたものか。はて。
それは確かに私の名であった。

この磯煮ワカメはどうしてそれを知っている?

「冬眠してたんだろ。
 おめ、寒さに弱ぇって顔してっからな」

小僧はそう言って、
ぽいと何ぞ小物を放りなげてよこした。
鼻はきけど目は曇り硝子。
しかめまなこでそれをみやる。

「おばぁの形見だ。
 守り神だって聞いてたよ、屋根裏の緑青」

瓢箪のついた小さな根付
「ろくしょ〜…、ろくしょや〜…、
 蔵のネさ 追ってくれろ〜…」
微かな匂いに記憶に残る声 願う言の葉
これは畑仕事に行くときに身につけていたものか

ざあああああ

声にならない。雨音が強くなる。
天に開いた口いっぱいに雪崩れ込んでくる。

「一言の別れもなく、逝くものか。
 お嬢、お嬢、お嬢はどこだ」

「お嬢ってなんだ。
 ここに住んでたのはおばぁだぞ」

「私はあの子が幼い頃からの顔見知りだ。
少し腰が折れ曲がり、しわくちゃになっただけの
お嬢ではないか」

ドーン、と雷鳴が駆け降りた

「そ…そうか、悪かった謝るよ。
そんな怒ることないのに」

大雨に混じり怪異の気配が濃くなる。
どうやら…なんらかの、異変が起こりそうな。
山のほうでもゴロゴロと空が鳴り始めた。

「私は龍になるはずだった」

どどどどん、と地面が鳴り
泥臭い匂いが漂う。
これは一大事だ。

「屋根裏の緑青となってからは
そんな使命も忘れていた、我こそは蛇の要石。
遥か昔、大水害を鎮めるために石に封じられ
その役目を終え、魂を授かったもの」

川は濁り、徐々に水位を増しつつあった。
この勢いのまま氾濫すれば集落を飲み込む。
流れを変えれば、あるいは…
勢いを殺せば、望みは残るだろう。

「村に迫る濁流を堰き止めよう。
何年も何年も眠り蓄えてきた力でも
時間稼ぎになるかどうかだが…
そこの、
お前は急ぎ村人を東へ逃がせ!!」

「そ、そんなこったって、おれ…
こんな姿で何言ったって無理だ!
おれは妖怪なんだぞ!!」

「そうか、妖怪か。ならば方法を考えろ…
お嬢がいない今、お嬢が守りたかったものが
この村にはまだ残っている」

河童は走った。
村の集落の前に立ち、
おれは妖怪だ、
洪水で村を襲うと嘘を叫びながら。

緑青は要石に妖力を込め、
迫る濁流に巨体を丸め飛び込んだ。
大きな水飛沫があがり、水の勢いを分断する。
押し流された丸太が突き刺さり、
鱗が剥がれ落ち、
それでも緑青は微動だにしない。

「緑青や」

その昔。緑青は恋心を抱いていた。

「ご機嫌麗しく、姫君」

お嬢が喜んでくれることは何でもした。
高熱を出したとあっては
妖力を使い、邪気を追払い。
せっせと種を運んで、
庭いっぱいの花を咲かせたこともあった。
少しずつ妖力を分け与え、
忌むべきものが近寄らぬよう。
お嬢が誰よりも幸福であるようにと。

緑青は目を閉じた。
この悪夢が終わるよう願って。

幸いにも村の民は
みなすぐさま逃げ出し、
集落の半分ほどに濁流が流れ込んだが
命を落とすものはいなかった。

いや、一匹だけが犠牲になった。

緑青。
恋ならぬ恋に身を焦がし、
望んだ力を得られなかった龍神の子が、
泥に塗れた姿で力尽きていた。

「緑青…」

河童はたいそう憐れんで、
緑青の泥を払って山寺の隅へ埋葬した。
すぐさま気配を察知した猫又が飛んでくる。

「こいつはまた、ばかにでかい墓だな。いったいニャにが埋まってるんだ?」

「龍だよ」

河童は、そう呟いて顔を背けた。
猫又は驚きのあまりに、あごが外れた。

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