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飛び降り自殺に失敗した話

こんにちは、ゆりです。
今回かなり重たい内容となりますが、自殺未遂をしてしまった経験をお話していこうと思います。

なぜ、こんな暗い経験を共有するのかというと、みなさんに自殺という道をなるべく選んでほしくないからです。

人それぞれの人生なので、「自殺は悪!絶対するな!」と言いたいわけではありません。

でも自殺というものは、自分の人生が終わるだけではなく、大切な家族や友達のその後の人生を暗く悲しいものにしてしまいます。

簡単に綺麗に死ねるわけでもなく、失敗したらその後の人生がさらに困難になる可能性もあります。

私は自殺未遂をしたことを非常に後悔しています。失ったものが大きすぎるからです。

飛び降りた衝撃で、歯は10本以上抜け、足腰・顎は複雑骨折しました。
もう二度と元の健康な体は戻ってきません。

この記事を読んでくださっている方には同じような後悔をしてほしくないと思っています。

それでは、順を追って経験をお話していきます。

高校生活のストレスで病む

自殺未遂をしたのは、高校3年の秋。
私は、いじめられていたわけでも毒親なわけでもなく、いたって普通の高校生でした。

ただ、大学受験に向けてみっちり勉強をしなければならない時期なのに、部活も忙しく心身疲労が徐々に溜まってきていました。

元々ロングスリーパーなので毎日9時間以上は睡眠をとりたいところだったのですが、宿題のために朝早く起きていたので睡眠時間は十分にとれていませんでした。

成績がクラスの上位だったこともあり、先生やクラスメイトからのプレッシャーで居心地が悪い感じもありました。

詰め込み勉強がだんだん嫌になってきて、あるときから「死にたい」と希死念慮が自然と頭に浮かぶようになっていました。

ネットで簡単なうつ病診断をすると、中等度うつ病と診断されるくらいには病んでいました。

ただ、ネットでうつ病と診断されても、「ただ自分に甘えているだけ。休んではいけない。」と思い、自分が病んでいることに気づかないふりをしていました。

でも、ふと気づいたら楽に死ねる方法を検索していたり、けっこう限界が近づいていました。

そんななかでも学校には休まず登校できていました。というか、休む選択肢がなかったです。

当時、担任の先生が「クラス全員で皆勤賞目指そう」と毎日のように言っており、他のクラスメイトも休むことなく真面目に登校していたので、休んではいけないと思い込んでいました。

そんなこんなで、毎日登校していたのですが、ある朝1時間くらい寝坊してしまったんです。

寝坊といっても学校には間に合うのですが、宿題が終わっていませんでした。

宿題が終わってなくても、とりあえず学校に行って先生に謝れば済む問題なのですが、日々の疲労で病んで頭がおかしくなっていた私は
「そうだ!今日で死ねば宿題しなくてもいいし、勉強もしなくてよくなる!」
という思考回路になっていました。

とりあえず、都会のビルから飛び降りれば死ねるかなーと軽く考えていました。

勢いで飛び降りてしまう

起きてから制服に着替え、家族には普通に学校に行ってくるふりをして、高速バスで都会に向かいました。

制服で朝から高速バスに一人で乗るのはおかしいと思われると考え、私服に着替えてバスに乗りました。

1時間半くらいで都会の街につき、その頃には無断欠席はおかしいと、学校や家族からたくさん連絡が来ていました。

心苦しかったのですが、すべて無視して飛び降りることができそうな高いビルを探しました。

人通りの少ないビルの非常階段をみつけて、4階の踊り場まで行きました。もう少し上からとも思ったのですが、それ以上になると飛び降りるのが怖くて無理そうだということで、中途半端な4階という選択をとりました。

靴を脱いで、柵の上によじ登り空を見つめました。
「もう、これからは何も考えなくていい、苦しまなくていいんだ。」
と清々しい気持ちにさえなっていました。

飛び降りるまでにそんなに時間はかかりませんでした。
目を閉じて体がふわっとしたところで記憶が途絶えています。

体がボロボロになり長期入院

目が覚めると病院のICUのベッドでした。
いろんな管に繋がれて、体が自由に動かせない状態でした。
声も出せませんでした。

「死ねなかったんだ」
一瞬で理解しました。

周りには涙を流している家族がいました。
その顔を見て自分のしたことの重大さを実感しました。
手は動かせたので「ごめんね」とホワイトボードに書くと、さらに泣かせてしまいました。

大腿骨・骨盤・顎を複雑骨折したのですが、幸い神経や内臓は大丈夫でした。
足から落ちたようで、顔にも傷はありませんでした。

飛び降り後、すぐに誰かが救急車を呼んでくれたおかげで命が助かったとのこと。
緊急で10時間もの手術をしてもらったとのことでした。

不幸中の幸いがたくさんあり私は自殺に失敗し生き残ったのですが、絶望していました。
こんな体で今後どうやって生きていけるんだろうと不安しかなかったです。

しかし、救急車で運ばれた翌日には躁転していました。まだ当時は双極症ともうつ病とも診断されていなかったのですが、今振り返るとこれが初めての躁転でした。

体は不自由で痛いところだらけなのに、頭は冴えていてグルグルいろんな考えが湧いてくる感じでした。

現状が正しく理解できず、すぐに元通りになると超楽観的な考えが進んでいました。

周りからも、こんな状況なのに異常に明るいと思われていたでしょうね。

リハビリの毎日

ICUに2週間ほど入院した後、一般病棟に移されリハビリが始まりました。

関節運動や筋トレなど毎日大変でしたが、長い入院で暇のほうが辛かったです。
リハビリは良い気分転換になっていました。

先生方に半年間毎日リハビリをしていただいたおかげで、起き上がりもできなかった状態から、一人で何も使わずに歩けるようになるまで回復しました。

入院中はずっと躁転していたので、やけにおしゃべりで明るい患者だったと思います。
自分でもおかしいくらいにリハビリに熱心に取り組んでしました。

退院後、再びうつ状態に

半年間の入院を経て、ようやく退院したのですが、躁転は終わりすぐにひどいうつ状態に突入しました。

入院していたころは、同世代の子が周りにいなかったので何とも思っていなかったのですが、現実に戻ると同級生たちは卒業や受験シーズンで前に進んでいました。

私だけ取り残され高校もみんなと一緒に卒業できない。受験も逃した。お先真っ暗。

一気に現実に戻されひどいうつ状態がきました。

ベッドから起き上がる気力もなく、お風呂や食事、家族との会話でさえ辛かったです。

みんなは受験に向かって頑張ってるのに私だけ何してるんだろう。自殺なんてなんでしようと思ったんだろう。

後悔ばかりが浮かんできました。

心療内科を受診する

うつ状態が日に日にひどくなっていて、また希死念慮が浮かんできたので、ようやく地元の心療内科を受診しました。

うつの状況を医師に伝え、薬をもらい2週間ほど服薬しました。

その後、2度目の躁転がきました。抗うつ薬を飲んでいたので躁転してしまったんですよね。

当時は、双極症という病気を知らなかったので、鬱が良くなった!めっちゃ元気になった!という実感だったのですが、親に再度心療内科に連れていかれ、そこで初めて双極症と診断されました。

その後

双極症と診断されてから、症状が安定するまでには2年以上かかりました。毎日服薬していても、軽い躁状態やうつ状態になることはよくありました。発症が18歳で、そこから12年。現在も服薬を続けて穏やかな毎日を過ごすことを心がけています。

まとめ

今考えると飛び降りる前から双極症は発症していたのだと思います。
ネットでうつ病診断してる時点で、精神科に行っておけば自殺未遂までしなくて済んだのではないかと今でも後悔しています。

少しでも希死念慮やうつ状態が出たら、誰かに相談したり受診したりアクションを起こしてほしいです。

決して甘えではないです、限界を超えて頑張りすぎているんです。

今、死にたいと思っている方に伝えたいのは、死にたいのは精神疾患などの症状のせいであって本心ではない可能性が高いということです。

勢いで自殺をして私と同じように後悔してほしくありません。少しでも辛いと思ったら病院または信頼できる誰かに相談してください。

長文になってしまいすみません。最後までご覧いただきありがとうございました。

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