【どうせなら、肩幅広めの肩書きが欲しい。】vol.2 建築観
建築設計の仕事をはじめて、気が付けば丸3年が経っている。
前回の【どうせなら、肩幅広めの肩書きが欲しい。】vol. 1 建築家の可能性 で書いたように、私はこの3年で色々なプロジェクトに携わる機会に恵まれた。
かなりボヤっとしていた自分の建築観の輪郭が、この3年の経験を通じて、なんとなく見えてきた気がする。
定義
三刀流の仕事人
まずは、「建築家」の私なりの定義づけから。
私にとって建築家とは、アーティスト・エンジニア・戦略家としての顔を兼ね備えた「三刀流の仕事人」である。
アーティストとしての美的感覚と感受性。
エンジニアとしての技術力と知識力。
戦略家としての論理思考力と発想力。
この3つの流儀が、ほどよいバランスで絡み合うことで、優雅でありながら最適化された、イノベーティブな建築プロジェクトが生まれるのだと思う。
建築家それぞれ、このアーティスト・エンジニア・戦略家の度合いが異なるからこそ、独自の「色」が生まれる。建築家として、自分自身ならびにチームメイトのバランス比を把握することは、それぞれの強みや興味がどこにあるのかを、明確に認識することにつながるのではないだろうか。
「建築家」という言葉の複雑さ
このように、「建築家」という言葉そのものが、複雑さを内包する。私がこの職業にもっとも魅力を感じているのも、まさにこの複雑さにある。私自身は、戦略家の立ち位置としてプロジェクトに関わるときに、最も自分の強みを発揮できると感じる。
違和感
その一方、私が日頃から「建築」に対して特に引っかかることもある。
建築は、本質的にとても複雑で高度な技術を要す専門職であり、プロジェクトの種類や、どの段階にあるかによって解像度に違いはあるものの、建築家とクライアントとの知識量の差があまりにも大きいこと。
建築プロジェクトは、投入される金額の規模が最も大きく、必然的に資本主義に加担するシステムの一員となること。
建築は、なんだかんだ、お金のある「お客様」の買い物であり、お客様が好きなもの・欲しいものを提供しているにすぎず、建築家がどれほど「より良い社会をつくろう」と奮闘しても、結局お客様の嗜好と合わない以上、実現できないこと。
「クライアント・設計者・社会全体の関心事が重なる部分を導き出すことが建築家の仕事である」と、デザイン・ダイアグラムを通じてイームスが伝えているメッセージも理解できる。オンデザインのボスである西田さんから学んだ「プロジェクトの意義を自分なりに言語化する大事さ」も痛感している。
それでもなお、たまに「結局のところクライアントは、見た目がイケていて、かつなるべく安く上がればなんでも良いのか」と感じてしまうような場面に出くわすと、設計者の立場の弱さを痛感させられ、設計者として奮闘していくモチベーションが劇的に下がる。
理想像
こんな私のモヤモヤをある友人話したときに、Anna Heringer(アナ・へリンジャー)というウィーンの建築家を教えてもらった。へリンジャーは、参加型デザインによるサステナビリティの実現を追及している建築家だが、彼女が手掛けてきたいっくつものプロジェクトの中でも、特に感銘を受けたものがある。バングラデシュの小さな貧しい村に建てられたMETI Schoolというプロジェクトである。
このプロジェクトの特徴を2つ挙げるとすれば、
泥と竹という、その地域に多く存在するため、入手が簡単であり、かつ、素人でも扱いやすい材料を主な建材として用いていること
地元の人たちを人手として雇い、地域雇用を作り出していること
だろうか。
仮にこの建物を全てRC造で作るとしたら、材料を外から輸入し専門の職人を雇わなければいけないため、地元経済はただ逼迫されるだけだ。しかし彼女は、「建築」を一つの手段として、地元経済を活性化し、かつ、地元の人たちに「知恵」という形でレガシーを残すフレームワークを作り出し、プロジェクトに投入された資本を、しかるべきところに分配し、地域還元を実現している。
建築家の使命
へリンジャーの言葉で、特に心をつかまれた言葉がある。
建設業界に限らず、大きな資本が動く消費社会では特に、最終的な成果物ばかりが注目され、そこに至るまでのプロセスの価値が見過ごされてしまう。
結果ばかりがわかりやすい指標で判断される社会構造では、建築家の立場はいつまでも弱いままなうえに、本質的に良いものや、本当の意味で世の中のためになるものが、どんどん失われてしまうのではないかと、危機感を抱いている。
私は、建築家としてだけでなく、建築家の職能として期待されていることだけをこなして満足するのではなく、一人の仕事人として、建築家の境界を越え、自身の仕事が社会にもたらす影響を考えていきたい。
【写真】Tokyo Purple Memories ©Yuri Murata