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みんなが嫌いな"普通"を深掘ってみた
私は「障がいをもつ子」と関わる仕事をしている。
障がいだけでなく、「病気で長期入院している子」や、「不登校」「ひきこもり」と呼ばれる子にも関わる。
なので日常的に、"ふつう"とか"少数派"という言葉に向き合う。
今日はそこを深掘りしてみようと思う。
"普通"とは一体なんなのか。
最近は多様性という言葉が広く使われるようになってきて、普通という言葉を毛嫌いしている人も見る。
普通という言葉を日常的に使う人もいれば、嫌う人もいる。
普通という言葉は、私たちにとって、一体なんなのか。
好かれたり嫌われたり、時代によって変わっていくものなのか。
普通とは、どこにでもある、ありふれたもののことを指す。多数のこと。
数という枠で見たら、少数・多数だけど
人間で言うと、多数の方が"強く"て、少数の方が"弱く"なる。
男性と女性、大人と子ども、障がいがある人とない人、健康な人とそうではない人、学校に行く人と行かない人、、
なぜか、多数の方が強くなる。
と言うより、「多数派の自分たちの方が強い」という意識で過ごしている人がほとんど。潜在的に。
普通の人が、普通じゃない人に対して
受け入れて"あげよう"とすること
理解して"あげよう"とすること
偶然、自分が多数側だからといって、なぜそんなに強くなれるのか。
自分の力が10だとして
10人増えれば
集合体で見たら、確かに力は100になる。
でも、人数が増えたところで
自分の力は10のまま。
個人が強くなるわけではない。
多数だからといって、価値が強まるわけではない。
普通とは、良し悪しで判断されるものではなく
疑うものだと思う。
「これは本当に普通なのか?」
「これって当たり前?」
「なんか上から目線になってない?」
「普通側だからって安心してない?」
小さな日常を疑い、思考していくことが
潜在的に差別をしていた自分に気づきを与えてくれる。
それが"普通"の使い方なのかな、と思う。