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イタリアと日本の挨拶文化の違い。
一時帰国で日本に戻ってきている間、多くの時間を地元で過ごした。私の地元は関東平野の端っこで、一般的には田舎と言われるような場所だ。そんな中でふと気づいたのは、日本では、少なくとも私の地元では、知らない人同士の挨拶が意外と多いということだ。この発見が特に印象に残ったのは、散歩中に見知らぬ人から「こんにちは」と声をかけられた時、自分も挨拶を返した瞬間に感じた温かさがあったからだ。それは、ほんの短い交流にも関わらず、自分がこの場所に歓迎されているような感覚をもたらしてくれた。また、挨拶だけでなく小さな世間話が始まったこともあった。こうした日々の何気ない瞬間に温かさを感じる機会が多いことは素晴らしいことだと再認識できた。挨拶を交わすたびに、この場所が自分のふるさとであるという感覚が強まり、それが懐かしくも新鮮に思えた。そして、イタリアという異文化で生活していることから、このふたつの文化の挨拶の違いが浮き彫りになって見えた。
私の地元は小さな町だが、昔からのコミュニティが根強く残っているというわけではなく、新旧の住人が混ざって暮らしている。だが、散歩をしていると、小学生からお年寄りまで、道ですれ違う人たちが自然に挨拶を交わす光景がよく見られる。たとえば、ある日散歩中に小学生が元気よく「こんにちは!」と挨拶をしてくれた。その声に嬉しく思い返事をすると、通りがかったおばあさんも微笑みながら「いい天気ですね」と声をかけてくれた。ときには挨拶から立ち止まって少し会話を交わすこともあった。このような挨拶が日常的に行われることで、地域全体に温かい雰囲気が広がっているのだろう。これが日本の日常の一部だということに、改めて気づかされた。
一方で、イタリアで住んでいる町も地元とさほど規模は変わらない。しかし、散歩中に知らない人と挨拶を交わすことはあまりない。同じコンドミニアムの住人同士では挨拶や会話をすることはあるが、外に出るとそのようなことは減ってしまう。この違いは、国ごとの文化や社会的な価値観に根ざしているのだろうか。たとえば、日本では「和」を重んじる文化があり、調和や協調性が日常の行動にも反映されている。そのため、挨拶が自然と人間関係を円滑にする一つの手段として機能している。一方、イタリアでは家族や親しい友人との関係がより重視され、親密なつながりの中で絆を深めることが優先される。このため、広いコミュニティでの偶発的なやりとりは、それほど重要視されていないのかもしれない。また、日本では挨拶を通じて無言の承認や調和を確認するのに対し、イタリアでは挨拶はしばしば親密さや感情を表現する直接的な手段となっている。このように、挨拶一つをとっても文化の違いが顕著に現れる場面が多い。
興味深いのは、ステレオタイプと実際の文化が異なる場合があるということだ。一般的に、日本は集団主義が強いと言われるが、地元での日常的な挨拶の多さを見ると、それはこの特性の良い側面を象徴しているのかもしれない。たとえば、子どもの頃、近所のおじさんやおばさんに「おはよう」と声をかけられた記憶がある。それが自然な流れで、地域全体が一つの家族のような感覚を持っていたことを思い出す。挨拶を通じて生まれる小さなつながりが、コミュニティの一体感を支えているように感じる。一方、イタリアは温かい人間関係を重視するイメージがあるが、実際には知らない人同士の挨拶は少ない。このギャップこそが、異文化に住むことの楽しさの一つなのだと改めて感じた。
話題を挨拶そのものに変える。挨拶には不思議な力があると思う。散歩中に「こんにちは」と声をかけられるだけで気分が良くなる。なぜなのだろうか。それは、おそらく相手からの肯定的な存在承認を感じるからだろう。短い言葉のやりとりでも、自分がここにいていいんだという安心感を与えてくれる。この感覚には、文化ごとに微妙な違いがあるように思う。たとえば、日本では挨拶が地域や集団の調和や一体感を象徴する行為として自然に受け入れられる一方で、イタリアでは挨拶が日常の中で親しい関係を育む役割を持っている。日本で「こんにちは」と挨拶されたとき、単純な声かけであっても、それが周囲との一体感や地域社会の調和を感じさせる。これに対し、イタリアで挨拶が行われる場合、その多くが感情を直接伝えるものとして、より親密さが重視される傾向がある。この違いが、挨拶を通じた安心感の感じ方に影響しているのだろう。また、挨拶にはポジティブなエネルギーを交換する効果があるのかもしれない。言葉を交わすだけで、相手と共有する瞬間が生まれ、それが心を満たしてくれる。
国や文化ごとに挨拶のあり方は多少異なるのかもしれないが、挨拶を通じてつながりを感じられるのは、どこの国でも共通しているのは間違いないだろう。この気づきを胸に、イタリアでももっと積極的に挨拶をしてみようと思った。たとえば、地元で散歩中に小学生やお年寄りと交わした挨拶が、その日の気分を明るくしてくれたように、イタリアでもそうした瞬間を大切にすることで新しい発見やつながりが生まれるかもしれない。また、挨拶を重ねる中で、相手の反応によってその土地の文化や人々の価値観をさらに深く理解できるかもしれない。子どもの頃、近所のおじさんやおばさんに挨拶をして立ち話になったような何気ないやりとりが、実はその日の気分を良くしてくれる瞬間だったことを今になって感じる。小さな行動が、より豊かな日常を作る第一歩になるのだ。