安心できるところ

「昨日一日、タカシから連絡なくて、悲しくて眠れなかった。
タカシのせいじゃないよ、私の受け止め方の問題。
でも、悲しかった」
「ごめんね。熱海から帰ってゴロゴロしてた。
夕方、帰るときに電話するよ」


朝いちばんのLINEで、タカシのごめんね、が聞けて、まりかは満足していた。
満足、という表現はおこがましいかもしれない。
心にタカシの愛があふれるのを感じた。
まりかが彼が連絡をくれなかったことを責めているわけではなくて、彼が連絡してくれなかったことを悲しんでいたことを受け止めてくれたから。


そして19時前、タカシからの仕事上がったよLINEが届く。


「話したい?」
「うん」


彼はいつも、電話の前に、話したい? とまりかにたずねる。
まるで、まりかが首を横に振ることは、月が西から上がることくらいありえないと信じているかのように。
ほどなく、iPhoneがLINEのけたたましい着信音を鳴らす。


「おつかれさま。電話ありがとう。
タカシに嫌われていなくてほっとして、ビール開けちゃった」
「俺もいい女とビール飲みたいな」
「まりかよりいい女がいるの?」
「いい女=まりかだよ」


取り立てて器量がよいわけでもない51歳のまりかに、タカシは惜しみなく女としての賛辞を送ってくれる。
ときに、鏡に世界でいちばん美しいのはお前だよ、まりかだよと言われたかのように、まりかを有頂天にさせる。
そう、タカシはまりかにベタ惚れなのだ。

なのに、認知の歪みというのは厄介で、たった1日連絡が来なかっただけで、タカシはまりかのことがもう好きでなくなったに違いない、だれかほかの女性がいるに違いない、もう生きている価値もないとすら思わせるのだ。
躁うつ病自体で死ぬことはないけれども、ときに人を死に追いやることすらある。

「でもさ、どこに俺がまりかを嫌いになった、という形跡があるんだよ。
第一、こんなオジさんさ、そんなにモテるわけないじゃないの」
「あ、人のダーリンに向かって失礼な」


タカシは坊主頭、いわゆる自主坊主だ。
ふだんはベースボールキャップをかぶっているけれども、頭頂部はつるりと産毛すらないきれいな頭をしている。
全体に年齢より若い印象はあるけれども、首まわりのしわとたるみは、彼が59歳であることを物語っている。
一部上場企業の管理職として登り詰めた堂々とした雰囲気と、どこか愛嬌のあるたれ目が、まりかは大好きだ。
仕事を語る彼の瞳がきらきらしているのは、肩書きや役職を求めたのではなく、エンジニアとしてやりたいこと、つくりたいものを突き詰めたら、いつのまにか同じ志を持つ部下たちを束ねていた、という証だ。


「躁うつ病の認知の歪みってね、ときにまりかにこういうことを引き起こすの。
ふだんなら、どうして連絡くれないの? ってLINEできるのに、落ちるとタカシに嫌われたんだ、って思い込んじゃう」
「たしかに、昨日はそろそろまりかから連絡が来るはずなのに、おかしいなと思いながら寝てたんだよ。
でも、日曜は子どもたちがそろうことを伝えていたから、気を遣ってくれているのかなと勝手に思っちゃったんだ」
「私ね、こうやって自分の気分の落ち込みについて体系立てて伝えるのって、タカシが初めてかもしれない。
こういう小さいことがどんどん積もって、ある日突然、爆発しちゃう」
「小出しでも、大出しでも、どんどん出せよ。
仕事でも管理職として、メンタルの部下たちと向き合って、支えてきたんだから」
「受け止めてくれる?」
「ああ、もちろん」


仕事と恋愛は違う。
でも、タカシはまりかの躁うつ病を蔑むわけでも、憐れむわけでもなく、少し年長者としての愛を込めて、包み込もうとしてくれている。
実は、この人なら病気のことを伝えても大丈夫だろうと、知り合って9日で会ったその日に彼には病名を伝えていたし、7週間で体調不良のことを包み隠さず伝えることができた。

まりかは幸せである。


「わかった。どんどん言うね。安心して言うね」


まりかは、安心できるところを見つけたのかもしれない。
病気のことも、標準体重を上回るふくよかな肢体も、少し散らかった部屋も、すべて安心してさらけ出すことができるところを。

恋は、であることではく、することだ。
相手が愛してくれていることに、あぐらをかいていてはいけない。
安心できるところをつくってくれるタカシにいつも感謝しながら、彼にも負けないくらい愛を注いで、居心地のよいまりかでいよう。

まりかは幸せである。

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