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深夜6時

「早いね。」
ベットの上でまだ動けずにいる体をそのままに、うっすらと開いた目だけがこちらを見ている。

「今日早番だから。」
最小限のメイク道具を入れたポーチからアイラインを探している私は、最小限の言葉を返した。

「そっか。」
気だるそうな彼の声と、ガチャガチャとメイク道具が当たる音、古い扇風機がカタカタと回る無機質な音が部屋に響く。

彼は重たい体を起こし、ゆっくりと私に近づいてきたかと思うと、焦茶色に焼けたその腕で私を包み込む。
彼の腕がこれほどまでに焼けていた事に、今初めて気がついた。
いつも日が暮れてから会っていたから、暗闇に紛れてしまっていたのかもしれないなどと、しょうもない事を考える暇はない。

「行っちゃうの?」
私の首に頭を埋めた彼の声はあまりに甘く、仕事を休んでしまおうかと心が揺らぐ。

「うん。仕事だから。今忙しい時期で休めないし。」
誰も休めとは言ってはいないのに、そう答えて彼の腕を振り解いた。

「そうだよね。」
それ以上は引き止めない。
引き止める理由も、権利もない。

私たちの関係は、そう言う関係。

ただお互いが必要とした時だけ、この小さな部屋で一晩を過ごす。
ただ、それだけ。

彼はベランダへ出ると「あっつ」と顔をしかめてタバコに火をつける。
すでにタバコの匂いが染み付いたこの部屋にいるのだからわざわざ外に出なくてもいいのにと思うが、出勤前の私に気を遣ってのことだろう。

丸まった背中を横目に前髪を整える。

私がこの部屋に初めて来た時も、同じように彼の背中を見た。
その日もこれくらいの時間だったが、外は真っ暗で彼の息が白く宙をまっていた。

深夜6時。
その言葉がピッタリと似合うような景色だった。
薄暗い闇に包まれたこの関係が、季節を跨いで今も続いている。
「じゃあ、もう行くね。」
その言葉に振り向き、彼はこちらを向いてひらひらと手を振り「うん、またね。」と言葉を返した。
『またね』
心の中でその言葉を繰り返し、重たい玄関の戸を開けた。
彼と、彼との思い出をこの部屋に残して。

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