【短編小説】懐かしい味と、さよならを。
14時に待ち合わせをしていたクライアント先に向かう途中、急激な腹痛に襲われた僕は目に入ったコンビニに駆け込んだ。
朝からお腹の調子が悪かったのに、気合いを入れるためにエナジードリンクを空っぽの胃袋に流し込んだことが、追い打ちをかけてしまったようだ。
トイレに入ってみたものの、お腹の状態は変わらず時間だけが過ぎていった。
時刻は13時7分。
そろそろ向かわなければ到着時刻がギリギリになってしまう。
背中を丸めながらトイレを出ると、ちょうどコンビニ店員と目があった。
しまった。タイミングが悪いな。
このまま何も買わずにコンビニを出たところで何か言われるわけではない。
だけど、目が合ってしまった。
前に降り出した足の向きを無理やり変え、ひとまず店の奥まで足をすすめた。
何か欲しい商品があるわけでもなく、ただただ棚の前を歩いて行く。
時間がないっていうのに、お腹が痛くて何を買ったら良いかすら考えられない。
レジの前まで来てしまって、まだ何も手にしていない僕はお菓子コーナーの陳列棚に入ろうとした。
「あ、これまだ売ってるんだ。」
僕の足は、グミ売り場の前でぴたりと止まった。
最近は様々なメーカーがグミを発売していて、初めて見るような変わった商品がたくさん並べられている。
その中でも昔から変わらず置かれている、あの商品。
思わずあの商品を手に取る。
「あ!これ買う!」
そういう彼女の声が脳裏に浮かぶ。
「また?こんなにいろんな種類があるんだから、たまには違うのにしなよ。」
家に着くまでのコンビニで、彼女は決まってこのグミを手にした。
「いいの!これが1番美味しいんだから。」
満足そうな彼女の顔に、僕は甘かった。
同じグミが後2・3粒だけ残っているのに、彼女のグミを僕は買ってしまうんだ。
家に帰ると彼女は新しく買った袋から開けてしまうものだから、家に残っていたグミは仕方なく僕が食べる。
元々グミは好んで食べなかったけど、彼女といる間はどれだけ食べたことだろう。
いや、今はそんなことを思い出している場合ではない。
時間がないんだった。
僕はあのグミを買いコンビニを後にした。
商談を無事に終え、今日の仕事は無事に終了した。
「ただいまー。」
家帰り一息つきたい気持ちを抑え、今日の報告書を書くことにした。
鞄からパソコンや書類を取り出し準備を始める。
ボールペンを出していないことに気がつき鞄に手を突っ込む。
ガサガサっと慣れない感触が手にぶつかり、あのグミが目に入った。
そうだ。今日のお昼に買ったんだった。
少し小腹が空いたし1つ食べておこう。
封を開け1粒だけ手に取り口に運び入れる。
この少しだけ硬い食感と、少しの酸味が何だか懐かしい。
この部屋で何度も食べたグミ。
食べるのはいつぶりだろうか。
彼女は今もこのグミを食べているんだろうか。
別の誰かが、君が残していくグミを食べているんだろうか。
そんなことを、僕が考えたところでどうしようもない。
「ねぇ、ご飯できるけど、仕事終わらなさそう?」
パソコンの画面を開いたまま動かずにいる僕が疲れているように見えたのか、いつもより優しい声が聞こえた。
「あ、うん。先にご飯にしようかな。」
まだ取り掛かってさえいなかったし、グミを1つ食べたら何だかお腹が空いてきた。
「じゃあご飯よそうね。」
「うん、僕も手伝うよ。」
「あれ、グミ買って来たの?珍しいね。」
机の上に置いてあったグミを指差して、そう聞かれる。
「あ、うん。コンビニのトイレに入ったら、何か買わずに出られなくてさ。久しぶりに買ってみた。」
「ふふ。別にそのまま出たって怒られやしないのに、本当に小心者よね。」
「良いだろ、別に。お金払うのは自由なんだからさ。」
恥ずかしいような、後ろめたいような、そんな気持ちを隠すようにグミを鞄の中にしまい込んで言い返す。
「ほら、ご飯にしよう。」
そう言って彼女の頭にポンと手を乗せる。
好きでもないグミを買うのは、今回で最後にしよう。
今は目の前の人との時間を大切にしないと。
あの人との思い出をしまい込んで、僕は部屋を後にした。