高級居酒屋に不釣り合いな私と
「ゆっくりしていってね」
居酒屋の店主が優しく声をかけてくれた。
この店でバイトをしている彼の仕事が終わるのは深夜24時30分。
それまで私はこのカウンターで1人、時間を持て余している。
メニュー表に料金が記載されていない、お高めの居酒屋。
少し入り組んだ道を入って行った先にある、隠れ家居酒屋。
そんなお店のカウンターに、田舎っぽい女子大生が1人座っているのは、かなりの違和感だろう。
お酒をちょびちょびと飲みながら時間を潰している。
20歳になって数ヶ月が過ぎたばかりで、お酒を嗜むといえるほど、お酒の美味しさを知っているはずはなかった。
それでもお酒に強い両親の遺伝子を引き継いでいる私は、ゆっくり飲んでいればそれほど酔うことはなかった。
それにしても、退屈だ。
遠距離中の彼の元へ7時間かけて電車に揺られ、
なけなしのバイト代を費やして、
私は今1人、暇を持て余している。
店主が気にかけてくれて、時折話し相手になってくれるのが救いだった。
居酒屋でバイトしている彼ほどコミュ力が高くない私は、
相槌を打ったり、二言返すのが精一杯。
美味しい料理をお腹いっぱい食べたい気持ちを抑え、少しずつ口に運んでは時間を潰す。
時刻は21時35分。
まだまだ夜は長い。
この辺りは居酒屋がとても多い。
お酒や料理だけでなく、店主との会話を楽しみに、客が入れ替わり立ち替わりやってくる。
次第に席はほとんど埋まり、店主も忙しそうに客との時間を楽しんでいる。
料理もお酒もあまり頼まない私が、カウンターの一角を占領しているのが申し訳ない。
たくさんお酒を飲んだり、店主に
「お酒を一緒に飲みましょう」ってお酒を奢ったりできばいいのだけど、
そんな粋な事をしたとて、少ないバイト代でここまで来る交通費を賄うだけでギリギリの貧乏大学生にはそんな事をできるはずもなかった。
そもそも、私が飲み食いしている分は、いつも料金をいつも半額くらいにしてくれていた。
そんな優しい店主の計らいを考えると、むやみに注文するのが帰って負担になってしまうのだ。
お酒を少しだけ口に運んでは、そんなことを考えていた。
まだまだ夜は長い。
お店に年配男性が1人来店した。
空いていたのが私の隣の席だけだったため、そこへ案内された。
「こんな若いお嬢さんが1人なんて、珍しいね。」
私に言ったようにも、案内した店主に言ったようにも思えた。
「バイト君の仕事が終わるの、待ってくれてるんですよ。」
店主が丁度いい間で返答する。
私は内心ほっとしていた。
身知らずの男性には特別緊張してしまう。
1人でやって来たその客は、ここの常連らしかった。
その男性は、日本酒を作る仕事をしていると教えてくれた。
そのお酒をこのお店に卸しているため、出張の時には必ずこのお店に立ち寄ると言った。
「この日本酒、かなり有名だけど数が限られてるから、置いてるお店が限られてるんだよ。」
そう言って、店主がカウンターに日本酒瓶を置いて見せた。
そのラベルを初めて見た私は、社会勉強をしている気分だ。
今は高そうなこのお酒は頼めないが、いつか飲んでみたいな。
男性は、私が知らないお酒のことをたくさん教えてくれた。
私は、一生懸命にその話を聞いた。
時刻が24時を過ぎた頃、男性が
「そろそろお暇しようかな」と言いお会計をした。
「彼女の分も一緒に頼むよ。」
突然の発言に私は固まってしまった。
こんなこと人生で初めてだった。
なんと返答するのが正解なのか・・・
困っていた私を見て、
「いいんだよ、今日はこんなに若いお嬢さんと話せて楽しかったから。ありがとうね。」
と男性が優しく声をかけてくれた。
店主がも男性に続いて、
「そうそう、せっかくだから奢ってもらいな。」
と後押しをしてくれた。
「ありがとうございます、ご馳走様です。」
私は精一杯の笑顔で男性に会釈した。
名前も知らない男性とお酒を交わし、
お酒のことを学んだ2時間はあっという間だった。
男性が帰って少し経った頃、彼がひょこっと顔を出し
「もうすぐ終わるから」と私に告げた。
「うん、わかった。」
彼との未来がどれくらい続くかはわからないけど、
このお店には大人になったらまた来よう。
その時は、あの日本酒を必ず飲もう。
男性が奢ってくれたお酒を味わいながら、
私は心にそう誓い、彼のバイトが終わるのを待つ。
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