捨て去ったはずの過去と再び向き合うこと/記憶の放棄とその効用
唐突ですが、私は一度記憶を放棄したことがあります。
今までの全ての記憶を放棄して、これからの記憶だけで生きようと決意したのです。
辛いことがあまりにも重なって、毎日夜布団の中で昔の記憶を思い起こして、またさらに辛くなるというループが続いていたからです。
人は何かを思い出すたび、その記憶はフレッシュな記憶として常に脳に置かれるそうで、
それを繰り返す私は、過去の嫌な出来事を、毎日自分に再体験させていたんですね。
しかも思い出すたびその記憶は歪んでいきます。
これは一種の自傷のプロセスだと思うのですが、
そう気づいた時に、全ての嫌な記憶との関わりのある人は物事から一旦完全に離れるべきだと結論付け、実行しました。
主に人間関係を「断捨離」したわけです。
よかったこと
私は当時依存していたネットのコミュニティで嫌な目にあったので、そのコミュニティから離れると、現実の世界に目が向くようになりました。
当時大学2年生くらいだったと思うのですが、今まで全くと言っていいほど友達がいなかった私に、声をかけてくれる女の子ができました。同じ大学の彼氏もできました。
自分のやりたいこと、やるべきことに気づけるようになったので、このままだと大学を留年してしまう、ギリギリのラインにいたことを知れました。
だめだったこと
ある期間以降のことを振り返ることを意識的に辞めたため、貴重な思い出の一部、または全部が自力ではほとんど思い出せなくなりました。
記憶にぽっかりと穴が開いている感覚があって、そこに嫌な記憶が詰まっているということだけは覚えているので、脳が自動的に情報をシャットダウンしてしまうのかなと思います。
また思い出せるようになったのは
昔のコミュニティの一部に参加し始めてからです。
もう5,6年以上は前のことだったので、てっきり私の事は忘れ去られていると思いこんでいたのですが、(これもまた記憶放棄のデメリット)
他の人は私をちゃんと覚えてくれていて、私と関わった記憶を持っていてくれました。
初めは全く何も思い出せなくて、とても申し訳なかったのですが、その人が私との出来事を語ってくれるうちに徐々に思い出すことができるようになりました。
今も少しずつ思い出していて、しかしその当時感じていた嫌な気持ちは和らいでいるように感じます。
過去のことを過去のこととしてようやく認識できるようになったのかもしれません。
客観視できている感覚はあります。記憶を放棄している間に成長もしているはずですしね。
本当に辛いことがある人におすすめです。
(但し、数年後に思い出させてくれる人がいる場合に限ります。自分のことが思い出せなくなるのは怖いです。)