神降臨の久高島へ姉と2人旅
念願の久高島へ行って来ました。
日曜日は、本来ボーイズはパパの日なので、パパと過ごしてもらいます。私は、26日ぶりにお休み。やっと1人時間が持てました。と言ってもフルに一日中休める訳でもなく、朝9時から夕方の4時迄、お風呂にボーイズを入れてパパ任務終了、私にバトンタッチなのです。どっちが親なのか?私の子供では無いのですけど。。。そんな思いを抱きながら日頃のモヤモヤ抱えながら、私は姉と2人で最高のパワースポット久高島へ行きました。
行きは、臨時の高速船の揺れに若干気持ち悪くなりつつもなんとかスピリチュアルの島へ辿り着きました。同じ船に乗船した方が言うには、前日、前々日は船が出航しなかったそうです。島に渡れるのも『縁』ということらしいです。
縁あってこの度、久高島へ上陸させていただきました。なにがしでございます。一つよろしゅうおたのもうしますとご挨拶をして島の奥へ奥へと私と姉の2人は歩いて行った。
島は歩いても一周出来ると聞きましたが、船を降りると、レンタサイクルがありました。みなさん、自転車やカートを借りて島を回るようです。
私たちもちょっと借りてみようかしらと思いましたが、折角なので、のんびり歩いてみることにしました。船に乗っていた人々は、凄まじい勢いで散っていったように思えました。最後に残った私と姉は、団体さんの声がこの島の精霊たちをかき消してしまうように思えたので、人のいない道を歩いていくことにしました。
港の辺りには民家もあったのですが、少し歩くとジャングルの中に舗装された一本道をただひたすら歩くことになりました。草木の他は、何も無いのです。私は島に入ってから眠くて眠くて仕方がありません。トランス状態になりながらひたすら歩くのです。
誰もいない知らない道をただひたすら歩くのは、修行僧の様な感じに思えました。それは、スペインのカミーノ・デ・サンティアゴ。約800キロの道のりの様では無いかと、行ったことはないですが、思いました。自転車を借りていたらきっと味わえなかったこの苦痛とゆったりした空気の流れ。私たちは、アマミキヨが降臨された『ハビャーン岬』を目指して、1時間ちょっと歩くのでした。
途中見つけたのは、最高の聖域フボー御嶽でした。神聖な空気が立ち込めている雰囲気で木々や蝶までも、神の使いの様に神々しく感じました。
そこでは、中には立ち入ることはできませんでしたし、前の方々が長くお祈りをしていたので、私たちはその後ろからお祈りをしてその場を後にしました。そしてまた修行の様な道のりをただただ歩き続け、やっとアマミキヨが降臨されたハビャーン岬に到着しました。その時の時刻はお昼の12時でした。お腹が空いて来ました。お腹を空かせた私たちが、1時間ちょっと歩いて目にしたのは、岬でお弁当を食べている人々でした。ここでお弁当とは良いアイデア。私たちもお弁当を買ってくれば良かったね〜と話しながら、アマミキヨ降臨の地で、無病息災、家内安全を祈るのでした。
私は、お腹が空いていましたが、そこの場所に来たら頭がズーンと重くなりました。姉にそういうと、
『私もだよ。さっきからずーっと重いよ』
やはり、姉も同じでした。お腹も空いたし疲れたので、もう港へ戻ろあということになりました。来た道を戻るか海岸の方を通ってみるか迷いましたが、農作業をされている地元の方にお聞きすると、海岸の道へ行かれたらどうかと、イシキ浜があるとおっしゃるので、その道を歩きました。
イシキ浜は、ニライカナイといわれる理想郷から五穀の種が入った壺が流れ着いたとの伝説が伝わる神聖な場所で、この種子が琉球の農耕の始まりになったと言われているそうです。
イシキ浜では、五穀豊穣を祈り、流れ着いた壺を手にしたご夫婦に想いを馳せました。
お腹が減ってヘロヘロなので、足早に港へ向かいました。港近くのお店に入り、定番の沖縄そばを食べました。
14時出航は、高速船では無くフェリーでした。1時半を回ったころ少し早いけれどフェリーの方へ行ってみると、既に多くの人が集まっていました。そして、ドドドっと乗り込みました。
フェリーのチケット売り場でどの場所になったら酔わないかと姉が聞いたところ、それを聞いていた島人おじいが、
『上になったらいいさ』
とアドバイスをくださったので、私たちは迷わず2階に登りました。フェリーの2階は、確かに快適で、25分の船旅中、すぐにトランス状態になり、気持ち良くウトウト眠りました。
沖縄のノロについて知ってから、イザイホーの儀式をしていた久高島という島にずっと行ってみたかった私の願いは、20年の時を経て叶いました。
まさか、姉と沖縄の歴史を辿る旅が出来るとは思ってもいなかったので、とても嬉しい気持ちがしました。
今回の沖縄滞在の目的は、私は入院している孫に付き添う娘が家に残した子供たちの面倒を見る為です。姉は、ボーイズの面倒を見ている私がてんてこ舞いしていることを知りサポートに来てくれました。何にでも気がつく姉の動きは、素晴らしく、本当に感謝しか無い二週間でした。
予定では、ボーイズと私と東京へ帰るはずだったのですが、実家の母が入っている施設でコロナ感染者が出てしまったために、急遽予定を変更して一日早くに帰っていきました。疲れているのに、その足で群馬迄行き母の介護をしてくれます。
母は、認知症ですが、一生懸命介護してくれる姉という娘がいてくれて本当に幸せな時を過ごしていると思います。
今回、娘の家の中も姉が色々変えてくれました。私1人では出来ない事でしたので、とても助かりました。ボーイズたちも『アンティ』という呼び名の姉のことが大好きなので、大喜びでした。
入院している更ちゃんも姉が滞在中に、奇跡的に好中球が上がり、5日間程家に帰ることができました。みんなで楽しい時間が過ごせたことに感謝、感謝です。