一時帰国で感じたこと~マスク事情と「すべてが良い」日本
年末年始は短い期間だが1年半ぶりに一時帰国をしていた。その中で感じたことを記そうと思う。
マスクはずっと外せない?
日本では報道の通り、ほとんどの人が屋内、屋外でマスクを着用していた。厚労省によると、屋外でのマスクは「しなくても良い」ことになっているらしいが、それでも着用していない人は1割いるかいないか、という印象だった。これは感覚的には恐らく、ニューヨークの街中で「マスクをしている人」の割合より少ない。では、なぜ義務でないはずの屋外でまでマスクを外せないのか?そこで感じたのはよく言われる「同調圧力」の存在、そして「義務」と「推奨」の違いだ。
米国では、州や都市により法令が異なるが、たとえばニューヨーク市の場合は、コロナ禍の一定時期は屋内施設や学校等でのマスク着用が「義務化」されていた。そして、それが解除され始めたのが2022年の春。それ以降、段階的に各所でのマスク義務がなくなり、現在は病院等を除き、大半の場所で義務化が解除されている。つまり、大半の場所ではマスクフリー生活だ。もちろん、現在も着用を続けている一定数の人達はいるが、それは彼らの意思によるもので、法令や周囲の圧力によるものではない。
一方、日本では新型コロナウィルス発生当初からマスク着用は「義務化」はされていない。当時も今もあくまでも「推奨」である。それでも感染拡大期には世界各国でロックダウンやマスク着用義務があり、マスク着用は「当たり前」の日常であった。でも、感染状況が一段落したタイミングで各国で義務化が下り、それらの国では、今度はマスクフリー生活が日常になりつつある。
その中で日本だけが(義務化もないので)解除もできず、取り残されている印象だ。誰かが「もう止めていいですよ!」と言わない限り、もっと言うと、周囲の人が外し始めない限り、誰も止めることができない。世の中の大半の人が着用しているのだから「同調圧力」に負けてしまうし、その中で無理に抗う気持ちも失せてしまうのだろうと思う。そして、今の状況で寒さが増すにつれ、感染者数が再び増えていくのであれば、きっと誰も「止めていいですよ」は言いたがらない。だから日本では多くの人が「意味があるのかな?」と思いながらも、このまま1年後もマスク着用を続けているような気がした。
米国では義務化解除とともに、多くの人が「もう、たくさん!」とマスクを外し始め、現在ニューヨークでは屋内のマスク着用率は1割程度だ。たぶん、マスクをしていない方が感染リスクは多少は高いかもしれない。でも、かといって「絶対防げる」わけではない。実際に米国ではマスクの義務化解除以降、感染者が特別に増えたというデータはない(現在の米国全体の1日平均感染者数は約1年前のピーク時の7%程度)。それならば自分は「(マスクフリーの)自由を選択したい」と思う人が多いのではないか(少なくとも、私自身はそう感じている)。
「すべてが良い」日本
もう一つ、今回改めて感じたことは日本のサービスの質の高さだ。米国では、働く店により、賃金の格差が大きい。例えば、スーパーマーケット一つとっても、いわゆる高級スーパー(例:Whole Foodsなど)やサービスの良さを売りにしているスーパー(例:Trader Joe'sなど)とそうでないスーパーの店員の賃金と質は全然違う。例外はあるかもしれないが、今のところ、私が接した後者の店員の大半はぶっきらぼうだ。米国で暮らし始めた当初、店による店員の差に驚いていたが、その理由を知り納得した。米国では良いサービスを受けたかったらそれなりの店に行き、対価を支払うものだし、安い店では過剰な期待をしてはいけないのだ。
一方で日本はどんな町中のスーパーでもデパートでも、総じてサービスの質が高い。少なくとも米国のように、賃金の差によるサービスの差を感じることが少ない。これはお客や利用者の側にとっては喜ばしいことなのだが、国際競争力の面では「果たしてこれで良いのかな?」と感じてしまう。これは日本に住んでいた時には感じたことがなかったが、こちらの格差を見ると、この「総じて平均的な」クオリティが長所でもあり、短所にもなり得るのではないかと思ってしまうのだ。
ちなみに、多くの旅行者が賞賛する通り、日本はどこもトイレが感動的に清潔で快適だ。これは本当に誇るべき文化なのだが、このトイレについても米国は場所により、清潔度、快適度が大きく異なる。これまた慣れてしまったが・・・。もっとも、「トレイは汚くてもいいからお金を他に使った方がいい」とは言えない。
感じたこと~「差別化」と「選択」
日本は安全、清潔で快適、安くても良いものが多いし、サービスの質も高い。だが、そこが「一億総中流」の思考になり、国際競争力を失っている所以にもなっていることを感じた。すべてのものが安くて質が良いのは消費者、利用者にとっては有難いのだが、どこかで差を付けないと、海外に「良いとこどり」をされてしまい、世界で日本だけが取り残されてしまうのではないか。「すべてが良い」が果たして良いのか、もう少し差別化することも考えた方が良いと感じた。
それから、マスク着用が代表例だが「右に倣え」の思考が強く、「思考停止」になりやすい風土だということも改めて感じた。(自分もそうだが)日本人の特徴として、「おすすめ」「〇〇セット」のように、予め決められたものを好む傾向が高いという。便利だし、失敗することも少ないのだが、そのメンタリティーが「自分で決める、選択する」という行為を妨げてしまう原因になっている。
「赤信号」一つとっても、ニューヨークでは車のいない赤信号をじっと待つ人は少ないが、日本ではそうではない。これは賛否両論あるが、せめて車がいないところで信号をじっと待つ、人通りの少ないところでマスクをする、ということが「本当に必要なのか?」を考え直してみても良いのではないか、と思う。
米国より日本の方が安全、清潔、食べ物は美味しいし、人々も優しい。はっきり言って「帰りたくないくらい」快適だった。でも、こちらでマスクフリーに慣れている自分にとって、日本で過ごした10日間のマスク生活は、住んでいた時の数倍窮屈に感じた。
対して、米国には「同調圧力」はないし、「自分で選択ができる」自由さがある。帰国して降り立ったJFK空港は相変わらず薄汚く、職員は最大限に不愛想だったけれど、今回だけはマスクを外せる「自由」を心地良く感じた。 早く日本でもこの自由を享受できる日が来ますように、と願いながら、楽しい思い出を後にした。