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30までに死ぬと思っていきてきた私が30を迎えた日に思うこと
「30までに死ぬんだろうな」
漠然とそんなことを思い続けていた私が今日30になった。
なんで30までって区切りをつけてたのかっていうと、理由は簡単で生きることにめんどくささを感じていたから。そして、単純に老けてく家族や友達周りの人達を見たくなかったし、自分も死ぬなら若いうちに死ねたら楽だなと。
別に人生生きてきてそれなりに友達もいたし家庭にも恵まれていた。
趣味もあったし高校卒業後は、興味ある分野が学べる学校に進学して自分のやってみたい業界
に携われた。
でも、私には結婚願望もなければ子供を産みたい欲もない。だからといって出世意欲もなければ、キャリアプランもなかった。
そのうえ、中・高校生くらいからどこか常に生きることに面倒くささを常に感じていて、20歳だとすぐ過ぎるし40だと長すぎると感じた私は、社会人を少し経験した30が1番いい区切りだな〜くらいに漠然と思っていた。
死ぬんだろうなが死ぬに変わった出来事
そんな私が「30までに死ぬんだろうな」を確信に変えたのが、2014年の8月。
2014年から専門学校に入学して友達にも恵まれたし勉強もとても楽しかった。とても順風満帆な学校生活を送れていた。…というのは表面上の話。
6月頃からは私は家に帰るとなぜかずっと涙が止まらなくて、夜は寝れない。気付いたらずっと虚無感を感じているようになった。
でも、学校に行けばいつもの自分。だから周りは異変に気付かない。
いつしか「死にたい」気持ちが止まらなくなっていた。学校の前の横断歩道で、ここで赤信号のとき道路に飛び込めば死ねるな〜なんてこと何度も思っていたし家でも常に死ぬことだけを考えていた。
そんな私の家に母親が泊まりに来る機会があった。「親といるときは異常行動はしない」と思っていたが、夜になると相変わらず涙が止まらなくなって死にたさが抑えきれなくなってしまった。
その結果、私は近くの1番大きな大学病院の精神科を受診し休学。学校にいけないどころか、人にも会えない状態だった私は精神科に入院して、1人暮らしができない状況に。
退院後は、大嫌いな地元に帰るハメになってしまった。田舎すぎて居心地の悪い地元から離れることだけが小学生のころからの唯一の夢だったのに。
(地元が嫌いな話についてはまた話そうと思う)
正直、闘病生活中の記憶はない。ただずっと頭とお腹が痛くて永遠に涙が出続けていた気がする。
なんで鬱になったのか理由はいまだに不明だし治る気もしない。絶望だった。
だけど私はいつだって周りの人にだけは恵まれていた。
鬱病患者の私と向き合うことを恐れないでいてくれた専門学校で出会った親友の存在だ。
どんだけボロボロで副作用でパンパンに太った私とも向き合い続けてくれて、対人恐怖症のリハビリにも付き合ってくれた。なんにも言わないで隣にいてくれただけだけど、それに救われていた。
その結果、私は一年留年し復学し就職した。
正直、就職もできないって思っていたから新卒で内定が獲得できたときは、本当に嬉しかった。
だけど、やっぱり常に心のどこかに鬱病患者だったことへの劣等感と再発の恐怖がいた。だからこそ、社会人になって数年働いて30までには死のうなんて思っていた。
環境・人との出会いが全てを変える
社会人になって配属先は、地元とも専門学校ともかけ離れた地域にした。
自分のことを全く知らない人ばかり土地でまた1から始めたかったからだ。
はじめは趣味も知り合いもおらず、職場と家の往復。そんな毎日に嫌気がさしていた。
そんな私がみつけた趣味がカフェ巡りだった。
理由は趣味がないといった私に職場の人がふと話してくれた「京都ってコーヒーの消費量が日本で1番らしいで。」という話。
その瞬間、なにかがビビッときてその日の夜には1人で行きやすそうなカフェをひたすらリサーチしていた。
どこか行きつけのお店を作ろう。と決めた私は休みの日は1人でカフェを巡った。
そうしているうちに、お店の人に覚えてもらえるようになり気付いたら休みの日の使い方はカフェ巡りに時間を使った。
カフェで出会う人は、みんな自分の人生を生きていた。誰もが挫折や失敗いろんな経験をしながら自分なりの幸せを見つけて生きていた。
それが私にとっては刺激的で、話を聞いているだけで自分の視野も自然と広がりだした。
そして、少しずつ私の人生や未来が色づき始めていることに気づいた。
あれ、私このままだったら30以上生きるかも
そう感じたのは、たしか26の時だ。いつしか自分の毎日が楽しくなっていることに気付いた。
それと同時に、新卒で入社してからなんとなく続けてきた仕事を、改めて見つめ直すようになった。それは、上司から異動の話があったことがきっかけだった。
「わたしはこの企業でキャリアアップしたいのか」
「大好きになったこの街から離れるのか」
そんなことを自問自答するなかで、私が1番に思い浮かんだのは「上司みたいになりたくない」だった。
上司は仕事に全力を尽くしていたが、その一方で、プライベートを犠牲にしているように見えたからだ。私は、仕事もプライベートも両立させたいからこそ上司みたいになれない。
そして何より、この街に愛着が湧いていたのだ。この街で暮らす中で、たくさんの素敵な経験をし、自分自身も成長できたと感じていた。
「昇格する気がないなら早いうちに転職しないと。30までに次の目標を決めないと」と思った私は、「30までに何者かになっておきたい」と決めて
それが私の30までの目標になっていた。
だから、興味のあることは片っ端から飛び込んだしいろんな大人の人生を聞いた。
その結果、昨年2024年に私はフリーランスとして正社員としての肩書きを捨て活動していくことを決めた。
この決断が正しかったのかはまだ分からない。ただ自分らしく、そして好きなことを仕事にできるということに今は大きな喜びを感じている。
これからもこの道を進んでいく中で、たくさんのことを経験してこの決断を正解にしたい。
そして30回目の誕生日を迎えた今思うこと
やっぱり私は誕生日が嫌いだ。何度経験しても特別な日とは感じられない。むしろ、毎年同じようにこの日だけは「死にたい」という絶望感に襲われる。
特に、30代という節目を迎える今年は、ついに30代が始まってしまったのだとその気持ちがいつも以上に強い。怖すぎる。
昨日までは20代だったのに、10の桁がひとつ変わるだけで人生に対する重みがこんなにも変わるのかと思ってしまう。なんで周りは30歳おめでとうなんてって言えるんだろう。全然おめでとうじゃない。
しかし、そんな中で今の私を支えているものがある。
それは仕事と周りの人達だ。フリーランスになってから、初めて仕事が楽しいと感じ心からやりがいを感じている。
20歳の頃の私に、今の自分が仕事にこんなに打ち込んでいてそばに居てくれる人がいると伝えても、きっと信じてもらえないだろう。
だからこそ、私は自分自身を信じて、この30代を生きていきたい。生き方が下手な私でも、周りの人たちは過去の話をなんとなくすると「すっごいおもろい経験してるやん!」とか「お前らしくて最高やんけ!」と笑い飛ばしてくれるし、だめだめな私のことを「不器用なところが魅力」「ダメダメだから周りがほっとけない才能があるんだって気付いて」っていって支えてくれる。そんな周囲の人たちに感謝しながら、自分らしい生き方を見つけたい。
最近、私は自分が「愛着障害回避型」というパーソナリティを持っていることに気付いた。
おそらくこれが私が鬱病を発症した原因で、私に結婚願望や出世意欲がない理由だろう。でも、幼少期から抱えていたモヤモヤにようやく名前がついたような気がして救われた気がした。
実は久しぶりに年末に帰省していたのだけど、私はなぜか今まで生きてきて実家に居心地の良さも家族との時間の楽しさも感じたことがなかった。
もちろん、今回の帰省もただただ疎外感と憂鬱で自分が壊れそうな感覚に陥るだけだった。自分の感情が壊れてくのを日に日に感じて3日目でギブアップ。
だめだね、何年経ってもやっぱり私は地元と家族といる時間がなによりもしんどい。
本当は一緒にいたいけど、家族と一緒にいたら私の精神状態はおかしくなってまた鬱に戻ってしまうんだと気付いた。お互いのためにも私は帰らなきゃ。
だから誕生日前夜に一人暮らしのマンションに帰宅した。誕生日の準備をしてくれていた家族には申し訳ないけどやっぱり私は1人じゃないとだめみたい。誕生日に家族と一緒にいたら私は多分本当に消えちゃう。そう強く感じた。
だからこそ30代は回避型と向き合い、自分自身を深く理解して、自分にとっての幸せを見つけたいと思っている。そうしたらこの10年間で少しずつ自分の人生が楽しくなってきたように、また新たな楽しさが見いだせると信じている。