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最近起きたこと全てを日記に書くスタイルができない。忙し過ぎるからなのか、忙し過ぎて、刺激的過ぎて、心がときめいていないのか。それとも愛が足りていないのか。だからときめかないのか。わからないけど、気になったことだけ書くことしかできないかもしれない。しばらく。
同善病院で初の顔合わせ。
カフェスペースでビートルズのレコードをかけることができる。a day in the lifeが入っているジャケットを見つけて、これ好きなんです、と言う。裏面と表面を間違えて途中から始まる。この曲もいいなと思う。変な曲ばかり入っているアルバム。前好きだった人にフィッシュマンズと似てるよって教えてもらった。今もその時の気持ちは大切にしている。「まだ忘れられてないんだね」と親友に言われてしまったが、私はあまり記憶を消したりするのは合っていない性分で、ここ一年くらいで決めたことなのだけれど、その時起きた出来事はそのままずっと心に留めておくことにしたのだ。一般的に忘れるべき、とされていても自分は忘れない方がずっといい。
お話しした方の名前、思い出せない。ただ、folkでインターンしていたユリアさんという女性の話など、なんとなく界隈の親和性を感じてはいる。彼女は面白い生き方をしていて、耳にはパレスチナの旗のイヤリングが揺らめいている。30代になっても模索を続けられる。スライドでこの病院のことや彼女の考えていることを教えてくれる。
レコードは暫く変な音を鳴らし続けている。彼女が止めようとしたけれど、こう言う曲、ということで暫く鳴らし続けた。
この病院の散歩会は次は6月だという。参加する方針になっているけれど、どんな企画になるかは話にあがらなかった。クリスマス会の時にまた彼女に会うだろう。何度か足を運んで知って欲しいと言われた。
スタンプラリーをもらったのでカフェに入ってみる。贅沢。
帰り道にピースの廃盤を買う。これを翌日に吸ったらすっごい美味しかった。
そうだ、その女性が活動においては「親密圏のケアはできないけど」と話した。けれどそこで私は心が引っかかる思いがした。その部分こそを芸術がケアできたらいいのに。そういう寂しさを、引き受けられたらいいのに。本当は多くの人が感じている辛さはそこにだってあって、何なら一番の辛さはそこなんじゃないかって思ってて、でもそういうことは我慢しなさいって、みんな黙ってる部分だと思ってる。だから私は過去の記憶を忘れたくない。
山ちゃんが散歩会に来て、石田君と仲良くなって、別れがたくなって、私は山ちゃんに「最後じゃないからね!」と言った。山ちゃんにとってあの日親密圏にちかしいものが、心の中で安堵できる何かが、みんなが当たり前に望みたい親密さが、ほんの夢のように消える一日の中でだとしても、たしかにあればいいのに。