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頑張らなきゃいけないらしい

3月19日(火)

 結葵(ゆうき)と申します。

で?頑張るって一体、何をすればいいのさ?



 本日付けで、ついに大学を卒業する。現在時刻、18日23時26分。もうすぐ本日付けではなくなってしまうので急ぎめで書き連ねるのだが、今日もいつものように不貞腐れたことを書く。
 ああ、よくない。この「不貞腐れた」と自分で言ってしまったせいで、いろんな余計なことを書こうというモードになってしまった。ここで断ち切る。「不貞腐れた」と言っているものの、「不貞腐れ」ているつもりは一切合切ない。


 朝から晩まで、今日は幾度、「頑張ってください」と言われただろうか。学長、指導教授、職員、友人、ひとりにつき1回は言われたから、大体20回くらいだろうか。他にもこの変化型、たとえば「未来に向かって羽ばたいてください」とか「これからの皆さんのご活躍を期待しています」とか、まぁいろいろある。
 またしてもこういう類の話だが、この「頑張る・頑張れ」系のセリフは非常に不気味だとは思わないか。試しに辞書のたぐいを参照してみると、《①あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する》《②自分の意見を強く押し通す。我を張る》《③ある場所を占めて、動こうとしない》とある。

 「頑張る」に《②自分の意見を強く押し通す。我を張る》などという、いささか日本人らしくない義があることに驚きを隠しきれない。日本人の口から「頑張る」が放出されるとき、少なくとも経験上、《①あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する》の義で使われること以外に知らない。


 周りのひとたちはみな、「頑張ってね」「頑張れよ」と言ってくれるし、もちろん、それは善意、というか純粋に応援してくれているのだと思いたい。けれど、どこか他人事として言っているように聞こえる。そうとしか聞こえなくなってしまうことがある。
 それは、彼らの思いや気持ちを信じきれないのではないと思う。彼らの顔を見れば、「ああ、このひとは決してウソを言っているのではない」と、一瞬の理性が興奮を沈静する。一瞬だけで事足りる。むしろ引っかかるのは、この「頑張れ」という、ある種の「セリフ」、演技のぎこちなさなのである。

 だって、そう言われて「頑張ります」って言いたくはならないだろうに。この感性は非常に正常なものだと言ってしまおう。もし「頑張れ」と言われたならば、言われてしまったのであれば、必然的に返す言葉はただひとつ、「頑張ります」に輪っぱをかけられるのであって、それは自由な生き物が嬉しそうに付けるものではない。

 これから頑張ってね、—— はい!頑張ります!

 このやりとりが異常だと思わないひとは感覚が麻痺しているのではないか。例えば逆に、面白がって(というよりふざけて)「いや、僕は頑張らないので。」と言えるには言える。言ったこともある。たいていは怪訝な顔をされる。たまに「え?どういうこと?」と、本当に言っている意味が分からないという表情で聞き返される。
 「頑張れ」と言った側が、「「頑張ります」と応答をするに決まっている」と決めている。そんなところにコミュニケーションなんてものは存在し得ない。結局、みな自分が許せる範囲内でしか、相手の言動を承認することができない。「自分らしさ」や「個性」は、他人の機嫌を損ねない、他人の迷惑にならない程度にという条件付きでのみ審査される。これと同じで、「我を張る」者が「頑張っています」と言ったところで「他人に迷惑をかけるな!」と引っ叩かれるのがオチである。これは知っている・知らないの問題ではない。知っていたところで認められることはないから。

 だから選択の余地なく、誰もが「はい、頑張ります」と言ってしまう。たぶんそこに「そう言うしかないだろうが」と感覚する正常さはない。しかもここでの「頑張る」は、どう足掻いても「我を張る」の意味になるわけがなく、誰が何と言おうと「困難に耐えて努力する」ことでしか成り立ち得ない。

いったい、いつから「頑張れ」ば苦境を乗り切れるはずだなどと考えられてしまったのだろうか。そこには、「頑張れなかった」場合にはどうなるかという失敗例への考慮を欠いた、きわめて抽象的にして無責任なまでに楽天的な姿勢が見えかくれしている。

「「頑張ろう」などと口にするのはそろそろ止めにすべきではなかろうか」蓮實重彦, 些事にこだわり


 「一生懸命頑張りました。頑張ったんですが、上手くいきませんでした。」

 そう言って「仕方がないね」という許し(赦し)がもらえるはずがないことは想像するに及ばない。でも面白いことに、これに対する説教もたいていが「できないのは、お前の頑張りが足りないからだ」といった類のセリフ回しである。別に厳密にこのセリフじゃなくても、端的に失敗の原因を抽象化する言い回しであれば何でも構わない。監督からはそう指示されているらしい。これは、それに従ったまでである。例えば僕の場合、「キミの準備不足が原因でしょ?」である。
 「頑張ってね」と言われたから「頑張った」までである。にもかかわらず「お前はまだ頑張れる」「まだまだ頑張りが足りない」などと重ねられることがしばしばある。一般に、スポーツの世界ではよくあることだが、振り返ってみると、あの不気味さは一体何なのだろうか。


 別れ際、「お互い頑張ろうな」と言われた。

 僕は「うん」とだけ答えて、無造作に手を振りながら、背を向けて歩き始めた。

 「頑張りたいなら頑張ればいい。お前の勝手だぞ。」

 時刻、0時25分、本日付け、昨日をもってに変更……しない。

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