タイピングを止めるな
1月23日(火)
結葵(ゆうき)と申します。
フリーライティングとStream of Consciousnessは似てるところがあると思う。
アウトライナーを生活の中に取り入れたい。
最近、千葉雅也やTak. 山内朋樹、読書猿が、これまでどのようにアウトライナーを使ってきたか、執筆活動とどのような付き合い方をしてきたかについての文章を読んでいる。
最も定番のアウトライナーといえば、Workflowyだけれど、無料で使うとなると、非常にきつい制約のなかでしか動くことができない。
無料だと、1ヶ月に100項目しか書けないのは非常に厳しい。100項目なんてのは、1日で余裕で消化してしまう。
だからプレミアムにアップグレードしようと思い立ったのだが、いざ課金しようとしてみると年間サブスクで49ドルかかる。1ドル=100円で換算したときには5000円弱なのだが、調べてみると昨日の時点での為替相場は1ドル=148円になっていた。
この相場で計算してみると49ドルというのは、日本円で7000円ちょっとかかる。
7000円は払えない金額ではないのだが、いまの状況からして心理的にすごく抵抗がある。数ヶ月前なら、平気で1万円くらい本に使っていたのに。ホテル代や移動費、その他諸々の出費でクレジットの引き落としが怖くて、気持ちよくポンっと買えない。
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たとえば、いまこの記事も、アウトライナーでフリーライティングをするように書いているけれど、勉強しているがゆえに、いつもの如く必ずメタ的な視点に立ってしまう。
フリーライティングとはどのようにすればいいのか?
そんなこと考えたら全然「フリー」じゃなくなるのに、他にも今年に入ってから「批評」について勉強しているが、これも「批評とは何か」という視点に立つ。
批評とは、何をどのように書いたら「批評」になるのか?
哲学も同じで、何をどうしたら哲学をするというふうになるのかという問いが成り立つが、結局は、まず哲学書を読んでみないと始まらない。
批評も、レビューでも、何でも書いてみないと、批評というものは書かないうちからわかるような代物ではない。
フリーライティングも、フリーライティングしてみないと、フリーライティングが何かは掴めない。
フリーライティングとは何か?ということなんて考える必要あるのかというふうにも感じるが、何か新しいことを始めるとき、必ずメタ的な視点に立つ癖がある。
てなことを書きながら、画面の右上を見てると、972文字と記されている。
いつもより、1段落を長めに書いてあるから、項目数も少ないが、一文ずつ改行していくと、項目数も意外と数行っているのではないか。
これに、毎日読書して、気になった表現や、書き留めておきたい文章を、いくつもアウトライナーに保存しているのだから、とても、1ヶ月100項目では足りない。
どうしたものか。働き始めるまで我慢しようと思えばできるが、それまで、フリーライティングをする習慣をつけることができないのが確定する。それはそれで、この自由な時期をかなり無駄にしてしまう。
せっかく好きなことに費やせる時間が大きく確保できるのだから、その練習というか、実際に書いてみるという営みで出来なくなるのは痛い。
結果的に、走り書きした日記みたいになってしまったが、ここらでタイムアップ。
これはこのまま投稿する。