白球に魅せられて
こんにちは。初めまして。「おゆ」です。
WBCの影響で野球沼に落ち、本日に至る大学生です。
最初は全く注目していなかったWBC。
昔からおばあちゃん子の私は、家に遊びにいくたびにテレビ中継を見ながら一生懸命大谷くんの話をしてくれる祖母(大谷くんはほぼ推しに近い存在)に答えようと、Twitterで大谷翔平情報をちょこちょこ追うようになりました。そこで知ったのがWBCのニュース。
祖母との「大谷くんがWBC(当時の頭の中は「?」だらけ)に出るらしいよ」という会話がきっかけで私の人生は変わったといっても過言ではありません。
その流れで韓国戦からちゃんとリアタイ観戦。名シーンはたくさんありますが、本当に心臓が飛び出るくらいハラハラしたメキシコ戦と、大谷がトラウトから三振を奪い優勝が決まったあの瞬間は一生忘れることはないはず。
あの瞬間は自然と手が震えていたし、バイト直前にも関わらず気付いたら涙が止まらなくて親にドン引きされていました。
野球の神様の祝福を受けた侍ジャパン。
今までの私だったら、ここで終わっていたはずなのです。
海外で暮らしていたこともあって、日本代表が活躍している国際試合は特別な思いで見てきました。
オリンピックは必ず見ていたし、大きくて強そうな欧米の選手に無双する選手たちの戦う姿を見るたびに、自分のアイデンティティを再確認しつつ、日本も捨てたもんじゃない!とふと希望を感じて今日も頑張ろうと自分を奮い立たせていました。
2022年のサッカーワールドカップは、当時住んでいた学生寮の友達と夜遅くまでキッチンに集まって黄色い声を上げながら応援していたのが本当に懐かしいです。試合後は三苫派と田中碧派で割れて、午前4時ぐらいまでわちゃわちゃしてその時は盛り上がっていたけれど、気づけばサッカー熱は冷めていました。
いつもそう。気づけば、すぐ冷めていた。幼稚園に上がる前から、スポーツはずーっとこの繰り返し。
ですが、なぜかWBC後だけは違って、現地に一度も足を運んでいないにも関わらず、ずっとあの歓喜に浸ってる自分がいたんです。
日本中の野球ファンを一つにさせる山田哲人の応援歌。怪我をしていたにも関わらず、チームのために戦い続けた源田。吉田、大谷と思いを繋ぎ、自身のバットで悔しさを晴らした村上のサヨナラ打。もう、書き出したらキリがないです。
気づけば“野球”という知れば知るほど奥が深いスポーツの魅力と、それに一生を捧げる選手たちの生き様に虜になっていました。
「敵」である相手チームに対してではなく、常に去年、昨日の自分を一番のライバルとして高みを目指す選手の姿を見ていると、孤独な戦いだなぁと思うのと同時に、やはり野球はチームスポーツだと気付かされます。
投手も味方の援護なしには勝てないですし、野手も打順から分かるよう起用がお互いの特性を活かしたものになっていると思うのです。
けど、どんなに強いチームでも負けることはあります。同じ対戦カードでも、スタメンが違えば全く違う試合展開になるし、本当に9回まで何が起きるかわからない。昨日は打たれても、次の日は抑えるかもしれない。逆も然り。まさに、今年の日本シリーズなんかそうでした。
これについては思考整理も兼ねてまた詳しく書きたいなと思っています。
本来スポーツ観戦というのは肩を抜いて楽しむものであると思うのですが、辛い試合展開や、情報量の多さで(もしくは少なすぎて・・・)心が折れそうになってしまうこともあります。
HSPとINFJという性格もあってか、自分の気持ちに向き合うのが苦手で、いろいろ感じ取ってしまうがゆえに一人で勝手に感情に飲み込まれていってしまうこともしばしば。個人的な感情を持ち込んではならない試合中の世界とは全く正反対の状況にジレンマも感じてきました。
ですが、Twitter(Xと呼ぶべき?)を通して私と同じこと思ってた人いたんだ、とか、こういう考え方もあるのか〜と学んでいくうちに、自分もそういう思いを共有したいという気持ちが湧いてきました。けど、それはたったの120文字じゃ難しいよなぁと思い、ちょうどストーブリーグに突入した今日、noteを初めてみることにしました。
一年前は、球場でユニフォームを着て選手の名前の入ったタオルを肩にかけながら応援歌のリズムに合わせて応援バットを叩いている自分がいるなんて本当に想像できなかったですし、ましてや野球選手を推すなんてありえなかったです。
一年でこんなに自分が変わるなら、野球に対する思いとか考えもまた一年で変わるんじゃない?と思ってるので、ここでは備忘録も兼ねて私のにわかな野球愛を綴っていければと思っています。
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
では、ごきげんよう。