わりとマジメな出産記録〜常位胎盤早期剥離からの緊急帝王切開〜
noteを書き始めて半月が経った。
今は私の拙いエッセイ(?と呼べるような立派なモンではない単なる日記)をみなさんに読んでもらいたいな、と思いながら記事を書いている。
ただ最近、色んな人の記事を検索すると、作品以外に、お役立ち情報を書いている人が結構いることを知り、どのくらい需要があるのかは分からないけれど、ここらで自分の体験したことを書いて、誰かの役に立てられたら…と思い、この記事を書いてみる。
私の体験したことは、出産時の常位胎盤早期剥離による緊急帝王切開。
流産も含めた全妊娠症例のうち1%にも満たない確率で起こる、しかし、いざ起こると胎児の50%は死亡し、残り30%には障害が残り、母体も危ない…という病気である。
※この記事には出血など生々しい表現があります。
ご注意ください。
【常位胎盤早期剥離とは】
【陣痛ウンともスンとも】
出産予定日から5日後、私は妊婦健診を受けていた総合病院に入院した。
私の子宮口は全く開いておらず、胎児は出産間近になると下腹部に下りてくるといわれるが、我が赤子はまだ上の方でプカプカ浮いており、頭が骨盤になんて全然はまっていなかった。
これは入院して促進剤だね、台風もよく来る時期だし、家から出にくくなる前に入院しようか…ということになった。
このとき、我が赤子は推定3600g。
【子宮口こじ開け】
子宮口が固く閉じられていたため、助産師さんいわく「ふえるワカメ」のようなものを子宮口に置き、数時間かけて子宮口をこじ開けた。痛みなし。
目論見通り、子宮口が少し開いたので、次はバルーンでこじ開け。
こちらはめっちゃ痛かった。
てっきり最初からバルーンで開けると思っていたのだが、子宮口が固く閉じられている場合は、そのいわゆる「ふえるワカメ」を置く作業が必要らしい。
【促進剤ウンともスンとも…からの号泣】
バルーンで子宮口が一定開いたら、翌日から点滴で促進剤を入れる。
促進剤を入れたら「今までの陣痛ウンともスンともはなんだったのか」というくらい急に強陣痛がくるという情報を事前に得ていたので、「くるぞ、くるぞおおお!」と、もののけ姫の甲六気分(首なしデイダラボッチが流れてくるシーン)。
そんな気持ちとは裏腹に。
お腹の張りは来るけれど、全然有効な陣痛には繋がらない。
朝から促進剤を始めて、夜に何かあっては危ないからと(スタッフが手薄になるから)、夕方には促進剤をいったん終える。
一晩寝たら、せっかくこじ開けた子宮口は先生もびっくりするくらいに閉じている。
これが4日も続いた。
私よりあとから同じ理由で入院してきた妊婦さんがどんどん出産していく。
我が子は、何をやっても、誰を集めてきても抜けない「大きなかぶ」のよう。
そんなに我が子は私に会いたくないのか、こんな未熟な母親の腹に入って後悔しているのか…と4日目の晩、号泣した。
【手術室へ】
5日目の朝、また早朝からバルーンと促進剤。
8:20頃、泣き腫らした目でたらたらと無気力に朝ごはんを食べていたら、異変。
なんか、いま、変なおなかの張り方せえへんかった?
私のお腹の張り具合はスタッフステーションでも管理されていたのだろう、直後に、4人くらいの助産師さんが病室に駆け込んできた。
なにか機械を私のお腹によくあてて、直後、大声。
常位胎盤早期剥離を知らせる暗号のようなものであったはずである。
その後、先生が4人、追加の助産師さんもワッと部屋に入ってきた。
私は助産師さんにベッドに押し倒され、すぐに酸素マスクを設置され「深呼吸して!」と言われる。
手早く手術着に着替えさせられ、着圧ソックスを履かされ、口頭で病名報告と手術の同意確認が行われた。
そのあいだに、なにか生あたたかい液体が大量に右の太ももに伝った。
なに、これ?
出血?
や、出血じゃないやんな。
これきっと破水やんな。
妊娠期間は順調やったんやから、破水以外のものであるはずがない!
ほとんど願うかのようにそう思った。
ちなみに、「出産の痛みは忘れる」とよく言われるが、私はいまだにあのとき自分の右脚に伝った液体の感覚を覚えている。
目の前の光景、右脚に伝った感覚、口頭確認をとる先生の切迫感、やたらと繰り返される「大丈夫ですからねー」の声かけ…。
あまりのものものしさに、涙が溢れてきた。
ホンマに赤ちゃん、未熟な私に呆れて、私の手から離れていってしまうの?
ひとりの助産師さんが、手を握って、頭を撫でてくれた。
ベッドごと階下の手術室に運ばれていった。
後で知った話だが、助産師さんが最初に大声で暗号を伝えたあと、病棟内に暗号の放送がながされ、そうしたら、産科のフロアに手術室行きのエレベーターがとまるような仕組みになっていたようだ。
手術室到着後、元々刺していた点滴から麻酔が入れられる。
緊急帝王切開なので、局所ではなく全身麻酔となる。
またたく間に、意識を失った。
朝早いので、夫も両親もまだ病院に着いていない時間だった。
【術後】
2時間後、私は病室に戻された。
輸血は免れたものの、それを術後も一応準備しておかないといけないくらいに大量出血した私は、目も開けているのか閉じているのか分からないくらいにしか開けることができず、声も出せなかった。
(体内の水分の3分の1…1.8ℓ弱の出血。ちなみに先生いわく成人男性の致死量は1.5ℓだそうである。)
カーテンやベッド柵に付着した血の跡から、先ほど右脚に伝ったものは血だったのだとぼんやり考える。
母が隣で我が子の体重がいかに重かったか(3782gあった)、これから沐浴が大変そうだということをのんきに教えてくれるので(母なりに私を元気づけたかったのだろう)、我が子は今のところトラブルなく無事に生まれたんだとぼんやり安心する。
喉が渇いて仕方ない。
でも、術後2時間ほどは飲食禁止とのこと。
気休めに水うがいだけさせてもらった(耐えきれず、ちょこっとだけ飲み込んだ)。
寝ているのに頭がクラクラ、目眩がする。
4時間経っても良くならず、相変わらず声も出ないし、目も開けられない。
死の間際、とても辛そうだった祖母を思い出す。
もう私はこのまま死んでしまうのではないか。
出ない声で先生に伝えたら、輸液(生理食塩水)の点滴の速度をあげてもらえた。
それから1時間経って、ようやく目も開き、声も出て、元気になった。
喉の乾きもおさまった。
体内の水分が不足すると喉が渇くんだな、人体が危ないんだな、という当たり前のことを、身をもって感じた。
麻酔のせいだと4時間我慢していたが、もっと早くに目眩を訴えていたらよかったと後悔。
【夕方 我が子と対面】
帝王切開で生まれてきた子は1日ほど保育器に入るらしい。
また、帝王切開で生まれてきた子は、ゆっくり時間をかけて分娩された子と違って急に外に出されるので、呼吸の速度が早いらしく、めっちゃ「フーフー」言っていた。
赤ちゃんは総じて可愛いものであるが、自分の赤ちゃんはひときわ可愛く感じるものなんだな、とはじめて気づいた。
【術後の夜】
手術の夜、先生から手術についての事後説明を受けた。
このような事態になったものの、私は運がよかったようだ。
①異変が起きたのが、入院中であったこと。
②異変が起きたのが、スタッフステーションでミーティングが始まる10分前だったこと。産科の先生、助産師さんのほか、麻酔科の先生や小児科の先生が集まっていた。
③胎盤の剥離部分が子宮口の近くの端っこのほうであったこと。
④助産師さんが私のお腹に機械を当てたとき、嫌がった我が子が体勢を変え、成長曲線を大幅に上回る大きさの頭で、剥離した胎盤を子宮に抑えつけたこと。
(これは先生の推測。時間稼ぎができた。)
⑤我が子が誕生後、すぐに泣いてくれたこと。
あとは、このような話もあった。
①帝王切開の場合、今は傷を目立たなくするため横に切ることが多いが、緊急帝王切開は時間との勝負なので縦切りになった。
ただ、横切りより縦切りのほうが、術後の痛みはマシである。
(痛いの嫌いなので、むしろ縦切りでよかった…。)
②今は抜糸はしない。医療用ボンドで傷口を塞いでいるから。
(医療技術や器具は発展しているな…。)
③子が大きかったことと、予定日からだいぶ日が経っていたことから、子宮がのびのびになっていて収縮しなかった。持ち上げて揉んでも収縮しないから、半年程度で溶ける糸で物理的に小さくしました。
(私の子宮、人の手で持ち上げられたんか!そして、半年程度で溶ける糸とかあるんか!という驚き。)
④常位胎盤早期剥離に備えて、当院では2ヶ月に一度訓練をしています。
(しっかりしている病院だな。)
⑤訓練では役割があって、手を握るのも役目の1つです。
(それは正直聞きたくなかった!という興ざめ。)
⑥病棟内の暗号の放送、聞こえましたか?
(聞いてる余裕ないわ!)
後半部分は、出産後のハイテンションで聞いていたので、それぞれ心の中でツッコミを入れつつ聞いていた。
通常分娩でなくても、出産後のハイは訪れるんだな、と思う。
【手術 翌日以降談】
いくら大量出血して顔が真っ白だと全助産師さんに心配されても、帝王切開後は癒着防止のために歩かなければならず、翌日から歩行訓練が始まった。
ちなみに、うちは母親も帝王切開で私を産んでいる。
理由は、私がやっぱり出てこなかったから。
骨盤の形とか、体質によるものなのだろうか。
母の時代は、3日間安静寝たきり、そして3日間お粥が出たそうだ。
私の場合は、お粥も手術翌日のみだった。
出産育児の常識とは変わるものなんだな…。
困ったこととしては、産後の肥立ちに時間がかかったというところか。
まる2ヶ月ほどかかった。
よくよく考えたら、アレだけの出血をし、お腹に傷も拵えているのだから、肥立ちが良いわけがないのだが、当時は妙に焦ってしまって、あれはメンタルに非常に良くない影響を及ぼしていた、と今となっては思う。
あとは、産後1ヶ月のあいだ、出産時の夢を見てうなされる…ということが3回もあった。
PTSDみたいなものか。
あれも結構堪えた。
【常位胎盤早期剥離を経て感じたこと】
まず、何よりも先に出てくる感想が、私を含め家族の誰も我が子の産声を聞いていないこと、生まれた瞬間を知らないことに対する残念な気持ちである。
本来なら、常位胎盤早期剥離でありながら、母子共に元気である奇跡に感謝すべきところであるが、今は5歳になる娘の寝顔を見るたび、やはり「生まれた瞬間、見たかったな。」と思う。
次に、何も考えず、だったのだが、総合病院を選んでいてよかったということ。
町のマタニティクリニックが悪いと言いたいわけではない。
ご飯が美味しかったり、総合病院にはないサービスやこだわりがあったりするらしいので、そこを選ぶ人が間違っていると言いたいわけでもない。
(私も美味しいお祝い膳が食べたかった…。)
ただ、私にはこのようなことが起きて、タイムラグなく対応してもらえて、今は私も子も元気に生きられているのは、何のこだわりもなく総合病院を選んだことが大きいと思えるのである。
さらに。
冒頭でも書いたように、常位胎盤早期剥離は非常に発生頻度の低いものである。
ただ、もし将来娘が、あるいはこの先に町で誰かが、目の前で似たような症状を発症したときに、素人ながら、経験者として手助けしたいと切に考えている。
私は、退院後、自分の身に起きたことを正しく知ろうと、常位胎盤早期剥離についてたくさん調べた。
もちろん、妊婦さんのなかで1人でも多く、この症状を発症しないことが理想であるが、もし、目の前に症状が現れた人がいたときに自分の経験が役立てられるように。
素人だから、救急車を呼んで、「深呼吸して!」と促しながら手を握ることだけしかできないかもしれないけれど。
「役割」だと言われて興ざめしても、やっぱりあのときの私は、助産師さんに手を握ってもらって心強かったのだ。
そして。
これから妊娠出産を考えている人、出産を控えている人、パートナーや家族が出産を控えている人に、ない方がいいけれどこういうこともあるんだという事実を知ってもらうことができれば、何かの役にたつことができれば…と思い、この長い長い記事を書いた次第である。