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共同制作アートの思い出
写真は、施設の方と共に折り上げた絨毯です。
一本一本、縦糸に、糸をひっかけていきます。
原画から設計図をつくり、それを施設の方が自分でひっかけていけるように、スタッフが色々試行錯誤し工夫し、仕上げていきました。
ひたむきに、糸をつむぐあの人この人の横顔が思い出されます。
豊かな時間でした。
素の人の熱で変わった
子育てをしながらケアワークの仕事を10年していました。
その後、セラピストとプロデュースの仕事にシフトし6年ほど経ちました。
この間に人との関係性について自分の中に多くの変化がありました。
なぜなら、この間に関係した人の多くが、素の自分で対峙してきたからです。
それまでの生活は、学生・社会人時代も含めて、表面的なところでしか関係性を持たない状態を長らく続けていました。
それは、多分、他の反応に敏感すぎる性質が関係していたのかもしれませんが、それだけではないでしょう。原因全てはわかりません。
言いたいことを言うなあと指摘されることはよくありましたが、できるだけ波風立てないように気を遣ってしまっていたつもりでした。
でも、あるときから、素でぶつかってくる人との関わりが急激に増えます。
子供・障碍者といわれる人たち・認知症の高齢者・精神疾患をかかえる人たち…
とにかく本音でぶつかってきます。
最初は、大人げな態度で対峙していましたが、ギャップを感じはじめ、いよいよ自分も素の部分を出し始めるようになっていきました。
とても大切なことを忘れていた。
そんなことを感じるようにもなりました。
6年前からは、学びや実践の中で、せっかく出会った人と、素でちゃんと触れ合わないなら、それはその貴重な時間を取りこぼしているのだな…と思うようにもなりました。
素だからといって、言いたいことを言えばいいわけではないけれど、ベタですが「一期一会」だから、できるだけ逃げずに熱を注ごうと、何度も思い直しています。
多くの、さまざまな個性の、さまざまな境遇の人と触れ合う中で、固定観念が崩され、思考のクセに気づき、ときには変化したり、変化を拒んだり…
少しずつ、無意識のことが意識に上がるようになってくると、自分の中の変化し続ける部分と、未だ変わらない部分とがあることに気づいてきます。
変わらない部分も今後変わるのか変わらないのか、観察し続けています。
人は他者との関係性の中で変化していく。
とくにそこに素の熱があると、他者の熱を引き出すのだと感じています。
アートの概念は人の数だけありますが、私にとってのアートは、作品だけでなく、その変化そのものがアートだと感じています。
変化がクリアな海洋温熱もアートです。
言葉があってもなくても、素が伝わるゆえの、アーティスティックなセラピーだなあと思います。
時代は変化していく
時代は観えている世界の外側ごと変化していきます。
素がフェイクだと感じる世代と触れ合うこともあります。
それはそれで、その人が生きる素の世界です。
ひとつの言葉に対しても、無数の概念や、リンクしている世界が存在するこの世界は、底知れずおもしろいと思います。
最近動画編集をしていますが、
「なんかやっぱり感覚が昭和やあ〜」
なんて感じて、高校生の息子にそのセンスを問おうとしたら…
なんと、昭和のCMをむさぼるように観ていたので、
「まあ…あんまし世代でくくるのはやめよう。」と思いました。
年齢差別満載のこの国では、意外とどの世代も可能性縮めているわけなので、その辺りは「人間」くくりにならないかな〜なんて思いながら…
他人任せでもいけないので、まずは、私は「年齢で人をみない」をもっと徹底したいと思いまっす!
何歳の人も明日がわからないのは一緒。
一期一会に年齢は関係ないですから。
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