社会不適合者の私が不登校になった 中学生時代 ③
母は私に見られてることに気づいた。
母 「あれ、学校行かないの?」
私 「うーん学校行きたくない」
母 「なんでよ?」
私 「楽しくないから。。。」
母 「学校なんだから当たり前でしょ!行きたくないって単にあんたがサボりたいだけでしょ?」
私 「違うよ、学校に友達いないから行きたくない」
母 「頑張って友達作りなさい」
私 「話しかけるの怖い😭」
母「そんなん知らんよ〜いいから早く行って」
お母さんは全く私の気持ちを理解してくれなかった。お母さんいわく、当時の私は自分の気持ちを上手く説明するのが苦手だったため、主語が抜けていたりして、本当は何が言いたいのかわからなかったらしい。これもADHDの特徴だ。
確かに私がADHDで説明不足だったからそりゃ理解してもらえんのは分かるけど、だったら、適当にあしらわずにもう少し耳傾けてくれてもよくない?って今は思う笑
当時、母は学校に行くのが普通と思っていたらしい。母はどんなに熱が出ても学校休めなかったと言っていた。
楽しくないからというぬるい理由で学校を休むだなんて通用しないのだ。
しかし私はどうしても行きたくなかった。どうすれば行かずに済むか考え、私は閃いた!言葉で言ってダメなら、その場から動かない作戦だ!
私は自分の体重を活かして(当時の体重67キロ)地面に座り込んだ。
母は驚いた顔をしながら、こう言った
母 「なにしてるの?早く行きなさい」
私 「やだ(*`ω´*)」
母 「なにとぼけたこと言ってんの(怒)」
私 「、、、」
これで、お母さんもさすがに諦めてくれるだろうと思っていた、しかし母は諦めるどころか、無理やり私を引っ張る作戦に出てきた。
お母さんは私が背負っていたリュックに手をかけ、全力で引きずろうとしてきた。
私は驚きを隠せず、号泣しながら負けじと体を前に倒す、しかしお母さんの力は凄まじく強く、簡単にズルズルと引っ張られ、徐々に玄関に近づいていた、しかも、不運なことに地面はツルツルだったため、掴むところなど見当たらない。そのまま簡単に玄関まで連れてこられてしまった。
私は仕方なく学校に行くことになった
つづく