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20代で勝負した半年間で失敗

 私は21歳の4月から実家を出て、一人暮らしを始めた。
「早く実家から出たい」「親に頼る生活が嫌だ、自分を成長させたい」
という思いで勢いで働く会社も決め、【一人暮らしを始めた】

 5月から始まった新しい会社での勤務。そして友人もいない場所も分からない場所での新生活。
「まぁ、どうにかなるだろう」という気持ちで1週間・・2週間・・と
一人暮らしのルーティンも出来て友達も出来て自分なりに頑張っていた。

 5月から勤務した会社は「ブラック企業」と言ってもいいような真っ黒な会社だった。
 面接では、「研修もある。入社3か月までは定時退社。他の県への応援などはない」と言っていた。今でもその面接は覚えている。
 
 だが、それは1週間でガラっと変わった。
「明日から〇〇県に朝から高速使って応援いってね」
「明後日、朝から次の日の朝まで仕事あるからね」と言われ始める。
 それでも私はまだ新人という立場。何も言えず勤務し続けた。初月の残業は50時間~60時間程度だった。

 話は離れるが、私の趣味は美容と筋トレだ。
残業はほぼないと言われ家もエニタムが近いところ、仕事場に近い所を選んで住んでいた。
 しかしその趣味ですら出来る時間も失われていった。
 中には「土日休みなのだから休みで趣味を楽しめばいいのでは?」
と思う人もいると思う。
 それができなかった。

 そもそも朝の5:30~22:00までの仕事や5:30から次の日の6:00までの仕事を月から金までこなしているのだから、独り身の私には休みの日は疲れて起きるのすら面倒くさい。と感じていた。
 仕事は施工管理士。といっても何故か自ら作業する土木。
 建てたら営業所に戻り、一日の流れの整理や写真を追加しお偉いさんに
一日のスケジュール細かく整理してメールで送る。という仕事だった。



 仕事にはタイムカードが存在する。但し、なんの為のタイムカードなのかはわからないままだ。
 残業は18:30から30分毎につける計算らしい。
 それも、自分で残業申請を出して残業理由や残業時間、日程などを送らないといけないシステムだった。
 タイムカードの在り方がいまいちわからない。
出勤したか退勤したかのみのタイムカードだったのか..。
そして30分毎の残業もよくわからない。19:28に仕事が終われば19:00までの残業申請になるのだから、28分はサービス残業となる。
 本当におかしな会社だ。


 そして時は過ぎて真夏の8月。私は過呼吸になり意識もなくなり救急車で運ばれた。
 医者には熱中症だと診断されたが、そこから私はおかしくなった。


 会社に行けなくなり、朝起きようとしても身体が凄く重く感じて何も出来なくなった。
 とりあえず1週間会社を休んで近くの精神科まで行った。
 診断は「パニック障害と不安障害、HSP障害、軽いうつ病」と診断された。 「ああ、私は障害者になってしまったのか・・・」と悲しくなった。
 不安を取り除く薬を貰い、飲み始めた最初は副作用もあった。
 仕事では高所作業もある為、副作用が出ると困るから仕事は休んだほうがいいと医者から診断された。副作用が出ないようなら働いてもいいけど、無理はしないように。と言われた。


 薬を貰って服用してから1週間程働いた。しかしうまく身体を動かせなかった。今までは身軽で高所作業も楽々だったのが、全然出来なくなる程気分も悪くなり身体も震え始めた。


 そこから9月に入り、私は人事部から【休職命令】が出された。

 休職命令が出されて少しは安堵した。しかし収入が無くなる、周りは働いているのに自分だけ休んでいる状況がまたストレスに感じた。
 傷病手当金が貰えるのだが、書類を出せば2週間程で貰えるという説明を聞いた。しかし2週間、3週間たっても振り込まれなかった。
 来たのは会社の社会保険と所得税等...。

 電話で問い合わせた「傷病手当の書類の件で~」と。
返答は「こちらは忙しいので貴方ばかり早くは処理できない、社労士も忙しいだろうから待ってくれ」ということだった。
 今まで私は会社に怒りをぶつけたことは無かったが、生活もかかっている私には制御できなかった。私は本社の人事部から計算センターまで怒りの電話をかけてしまったのだ。

 それが問題になり営業所の所長からは「私を通してから電話してくれ」と指導され、私は謝った。


 そこから11月の後半 約2ヶ月程経ったころ振り込まれた。
私は精神面は薬で何とか保っていたが、生活は出来ず実家に戻ることにした。

 ただ、休職の期間を利用して今まで遊びに行けなかった駅前に行って化粧品と出会った。
 エステにはずっと通っていたので美容関係には興味は少しはあったのだが、一人の化粧部員の人と仲良くなり毎週そこの化粧品屋に遊びに行った。
 私がいる地方は「メンズ美容」がまだ流行ってない。化粧品を見ていると変な目線で見られる。スタッフには「贈り物ですか?」と言われたり...。


 私はそれが嫌だった。
なぜ服屋にはメンズ、レディースとジャンル別に分かれているし、ユニセックスの服もある。
 だが、なぜ化粧品には「女性専用」のような固定概念があってメンズ化粧品というショップがないのか。


 この地方にメンズ化粧品革命を起こしたい、という目標ができた。

 ただ、今はまだ休職中。実家に帰って美容について勉強や本を読んで情報を毎日のように取り入れるようにしている。
 家賃の支払いがもったいないのでバイトしながら貯蓄して退去しようかと考えている。


 最近の話になるが、12月11日に全国を回って政治の演説をしている方と運よく食事に連れて行ってもらえた。私の夢と目標の相談をしたのだ。
 すると彼は「関東にいったほうがいい」と助言を貰ったのだ。
様々なところの社長は都会の情報を素早く取り入れる為に、自らタピオカを飲んだりクレープを食べたりしているのだという。
 俗にいうJKみたいな遊びをして「これは面白い」と感じながら情報を取り入れているようだ。


 そしてこう問いかけられた
「なぜ地方にこだわるの?」と。
私は「実家が近いので。。。」としか言えなかった。別にこだわりも無かったのだ。
 彼は「君ら(夢のない人など)は鳥かごにいる鳥のようだ。鳥かごから見える景色はいつも同じ。飛び立たないと違う世界は見えないよ。でも今じゃない。経済を見ながら考えましょう」と。

 私は驚愕した。確かに、毎日同じ景色を見て何も面白みのない生活をしていたなと。

 私の夢と目標は遥かに高い位置にある。それをつかみ取るには行動しかないと感じた。1年後の目標、5年後の目標、10年後の目標を作り叶えるための手段を考え始めた。


 

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