時代と場所で銭湯は違う!湯の輪らぼ現地リポート
「銭湯」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?
唐破風屋根、熱々の湯船、壁画の富士山、お風呂上がりの牛乳、個性豊かな店員さんやお客さんなどなど、人によって思い浮かべるものは様々でしょう。
ですがそれは、ある銭湯特有の文化かもしれません。
時代と場所が違えば、銭湯は異なる姿を見せるでしょう。今回の湯の輪らぼでは、時代と場所を超えた銭湯比較を行います。
違いもそうですが、どこの銭湯でも変わらないものって、なんでしょうね。
(文・写真=しゅんた)
皆さんには「銭湯といえばこんな感じ」という”銭湯像”はありますか?
もちろんそれは、世代ごとに異なると思います。
では、昔の銭湯はどんな場所だったのでしょうか。
それを探るための手がかりが、江戸東京たてもの園(東京都小金井市)にありました。
1988年まで東京都足立区に存在していた銭湯「子宝湯」。
お寺のような見た目をしている、特徴的な銭湯です。
近年、都会ではビル化した銭湯を見ることが多いので、このような形の銭湯はなかなか珍しいのではないでしょうか。
脱衣所はこんな感じです。
天井が高く、開放感が抜群。
こちらは男湯に描かれたペンキ絵です。
銭湯といえば富士山の絵が描かれていることが多いイメージですが、最近はシンプル富士山が逆に珍しく感じるようにも(?)
外から中を見られないようにするため、構造的に窓が設置できない銭湯にとって、きれいな富士山と広大な青空が描かれた壁画は開放感を演出できる最高のツール、というべきでしょうか。
原始的にも思えるこの手法も、銭湯に人が集まり長く愛される理由のひとつだと改めて感じます。
こちらは女湯の壁画です。
ペンキ絵の下にお店の広告があるところは、我らの神田稲荷湯と同じつくり。
「銭湯らしさ」がとても伝わってきます。
最近はリノベーション(改良)により、壁画がそもそもない銭湯が増えつつありますが、ローカル感あふれる広告を見ながら湯に浸かるのも、地元の銭湯感が味わえて最高です。
少しわかりづらいですが、男湯と女湯を仕切る壁(写真左下)にタイル絵が施されています。
説明書きによると、タイル絵は大正から昭和にかけて導入されたもので、当時はかなり先進的なものだったとのこと。
子宝湯はお寺のような形をしていることもあり、天井が高いということもよくわかります。
この時代にしてはかなり華美な造りをしており、相当のお金がかけられているようです。
料金案内には「婦人髪洗料」という見慣れない言葉が。
入浴料とは別に髪を洗うためのお金も取っていたところに時代を感じます。
昨年末まで、後ろ姿を母親と見間違えられるほど髪が長かった”稲荷湯3代目(仮)まもる”も、ひょっとしたら「髪洗料」を取られてしまうかもしれませんね。
参考までに、画像を貼っておきます。
(長髪のまもる。なお、この髪はヘアドネーションとして寄付されたそうです)
「昔(ながら)の銭湯」子宝湯を訪れ、リノベーションされた銭湯とは異なる趣を改めて感じるひとときでした。
このような当時の”日常”も、今となっては珍しいものに思える。そんなことはありませんか?
最近は女子高生の間でルーズソックスが再ブームを迎えていたり、今こそレコードで音楽を聞きたいという人がいたり…レトロを楽しむ人が増えていますね。
「昔ながらの良さ」と「最新の良さ」が共存するからこそ、銭湯文化が今でも多くの人を魅了しているのだと思います。
”時代が変わり形が変わっても、そこに銭湯があることは変わらない”(名言風)
(東京都浴場組合公式アプリ内のスタンプラリーから)
時代が違えば銭湯も違う。
そして、場所も違えば銭湯も違うのだ。
日本中の銭湯の違いをこの目で確かめるべく、私は九州最西端の長崎へ向かいました。
内山田洋とクール・ファイブが昔歌ったように、長崎は今日も雨だった。
と思いきや、まさかの快晴。
幸先の良い旅の始まりです。
長崎では3年ぶりにランタンフェスティバルが開催中でした。
旧正月を祝う冬の風物詩です。
今回目指す銭湯の場所は長崎市街の南側。
現存する日本最古のキリスト教建築物である大浦天主堂や、長崎開港後に来訪した外国商人の住宅があるグラバー園から徒歩10分。
長崎の観光名所から目と鼻の先の距離に、その銭湯はありました。
その名も、「日栄湯」。
原爆を耐えた、100年続く銭湯です。
孔子廟の塀の向かい、そしてプロテスタント教会の隣に位置し、まさに文化の交差点である長崎を体現しています。
中に入ると、2000年生まれの私にとっては異世界。
年季の入った木製のロッカーと靴箱…
タオルと石鹸を持ち、浴場へ向かいました。
東京と違い、浴室の中心に深めの湯船があるスタイル。
4人入ればいっぱいになるコンパクトな湯船でした。
西日本では湯船が中心にあることが多いらしいです。
そのワケも、西日本はシャワーではなく湯船のお湯を被って体を洗うからだとか。
そのため、お馴染みのケロリン桶も被り湯しやすいように東日本よりサイズが一回り小さいんです!!
さて、お待ちかねの入浴。
お湯は熱め。
長年の経験から、温度は43℃とみた。(信用しないでください)
旅の疲れが癒されます。
奥にはキンキンの水風呂が。
深さはお腹くらいまでと、浅め。
こちらも長年の経験から、14℃とみた。(信用しないでください)
東西の違いに想いを馳せていると、交互浴が進みます…
風呂から上がり、また夜の長崎へ繰り出す。
こんなにも異国情緒が漂うのに、なんか日常の安心感がある。
東西で入浴スタイルが違っても、上がったあとのホカホカ感は変わらない。
100年続く日本の西端にある銭湯も、私をあたたかく迎えてくれました。
画像引用元
松本康治,2022,「オランダ坂下さまよえば 100年銭湯はきょうも桃色 長崎・日栄湯」,朝日新聞デジタル,(2023年1月25日取得,https://www.asahi.com/and/article/20220225/415011583/2/)
参考記事
NIKKEI STYLE,2012,「銭湯、東西でこんなに違う おけ・浴槽・カラン…」,旅行・レジャー 耳寄りな話題,(2023年1月25日取得,https://style.nikkei.com/article/DGXNASIH0800A_Y2A300C1AA2P00/)