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謎に早死にする家系とは?その4
いつの時代にも、夫婦関係を円満に維持することは難しい。一見仲良さそうな夫婦にも、いろんなドラマがあるものだ。
少し前の時代には、女性に何事も選択する権利が無かったのも事実。特に日本人は「家」の存続を何よりも重要にしてきた民族なので、男の子をたくさん生むのが、嫁としての義務でもあった。
明治時代には、男の子をきちんと産んでから、ようやくその家に迎えられ、入籍することも普通のことだった。
または、お嫁に行って三年子どもが生まれない場合は、離縁された女性もたくさんいた。
もしかしたら、夫側のほうに問題があったかもしれなくても、すべてが女性側の責任になったのだ。夫婦円満だったとしても、子どもができなかったせいで、離縁された女性はどんなに悲しかっただろう~
昭和の太平洋戦争では、夫が子どもを残して戦死した場合、独身の弟が兄嫁と結婚し、「家」を存続させた例もたくさんある。
時代のせいで、しょうがなかったとはいえ、「家」を守るために、たくさんの女性は、涙を流し悲しみとともに生きたに違いない。
私の祖父の兄弟も、そんな例のひとつだった。
祖父は9人兄弟の4男。その長兄は漁師をしており、結婚して2人の子どもにも恵まれていた。が、結婚して6年後、海で遭難し26歳の若さで亡くなったのだ。
二男は6歳で亡くなっており、「深川家」を守るために、兄嫁を結婚するのは、三男ということに一族で決まったらしい。
ただその時点で、三男はすでに結婚していてこどももいた。それを無理やり
別れさせて兄嫁と結婚させたのが、曾祖父だったらしい。
後日、聞いた話だが、それを画策したのが、私の祖父だと三男の最初のお嫁さんには伝わっていたことがわかった。
三男の最初のお嫁さんにしてみれば、夫婦仲良く暮らしていたのに、突然理不尽に別れさせられた恨みつらみは、当然、それを画策したと聞いた祖父の家系にいったに違いない。
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世に「女性の恨みつらみほど、恐ろしいものはない」と言われるけれど
まさにその例だったのだと、謎が解けた。
けれど、その恨みの矛先は、実は私の祖父ではなくて、曾祖父だったのだ。
という事実も、最近わかった出来事だった。
昔から女の幽霊が「この恨みは7代先まで、続えけて呪ってやる~」などと
小説や映画なんかで見たことはあるけれど、ホントにその通りだなって
納得した・・結果だった。