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戦後75年というけれど・・1

自分の仕事上、ファミリーヒストリーつまり自分史を残すお手伝いもしているので、戦争体験を何か残しておきたいひとから依頼されることがある。

4年前のある日、92歳のかたが私のサロンを訪ねてきて、自分の戦争体験を自分史で残したいので、是非とも作成してくれとの依頼だった。

私の祖父も陸軍に所属していて、中国前線で戦っていたという。けれど祖父は、自分の戦争体験は私たち家族に語ろうとしなかった。たぶん、戦争だから仕方のない状況だったかもしれないが、人殺しをしていた事実は家族には絶対語ることのできない体験だったに違いない。

祖父が亡くなり、家系図作成の勉強をしていた時に、軍隊に所属していた人は軍歴証明書を申請すれば出してくれることを知り、祖父の軍歴証明書を取り寄せた。

見てビックリ!

私が学生時代、日本史で学んだ「満州事変」にもろに関わっていたのだ。まさに歴史を体験していたのだ。

それさえも祖父は語らなかった・・

たった一度だけ、体験の一部を話してくれたことは忘れられない。祖父は小隊の指揮官だったらしい。こんな風に話してくれた。

「お前にわかるはずもないが、覚えておいてほしい。部下を引き連れて弾丸が飛び交う中、前に進む選択しか残されていなかった。弾にあたって部下が次々と自分の目の前で死んでいく・・・たまに死んでいった部下の夢をみると複雑な思いだなあ。自分だけが生きているのが申し訳なく思ってしまう。」そう言って、祖父は遠くの夕空を眺めていた。という私の記憶である。

92歳で私のサロンを訪ねてきた久保澤さんも、当時陸軍所属で中国北部に配属された。太平洋戦争の終わり頃、当時16歳くらいだと思うが、その記憶は、事細かに覚えており、インタビューしていて驚かされたものだ。

終戦記念日の今週土曜日に向けて、少しずつ久保澤さんの戦争体験を、このnoteブログに書いていこうと思う。・・・つづく


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