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まぁなんで躁鬱なのかっていう話

ぼくァ結構な鬱ツイをしている。自分でもなんでこんな感じで生きてるんだろうなって。ここ最近で躁鬱の”鬱”の部分の沈み方が激しいのでTwitterだけではなくどこかに吐き出したいと強く決意してしまったので、つたない文章で書いていこうと思う。いずれこのnoteが黒歴史になるならそれでもいいし、誰かにわかってもらいたいなんぞ考えてない、まぁその自分の気持ちを整理できればいいかな。そんなもん。

正直なことを言うと、僕は躁鬱ではないのかもしれない。だって病院で診断とかしてもらってないもん。その傾向は確実にある気がするが。気分の浮き沈みが激しいなとは元々思っていた。けど、社会生活を営む学校や親の前では理性で抑え込んで、何事もなく過ごすのが当たり前になっていった。そしてある日、心で何かが折れた。人って折れると涙が止まらなくなるんだなって思った。どうしてそんなに追い込まれたの?内容は?それはここでは割愛します。そのうちね。そのうち。んで何かにものすごくすがりたい気分になった。当然ながら彼女彼氏もいるわけでもないので吐き出す場所もなく(いたところで、そういう存在に吐き出すのは申し訳ないからしないという)、あふれ出す病みな感情を心をなんとか拡張して抑え込んでいった。

一刻も早く楽になりたかった。当時影響を受けていた人のブログで、自〇未遂の記事に強く惹かれてしまい、自死という答えを得た。帰って試そうとも思ったが、その時は色々な人が助けてくれたのでなんとか踏みとどまった。ここでよくないのが、なんで助かったんだろうなって思うこと。感謝はしている。ただ同時に「なんで助けたんだろうな」という感情も湧いてでる。これは僕がクズだからだろうか、それとも鬱思考が酷いからだろうか…。

今は適当に就職してて、精神が落ち着いてきている。仕事についてはダメダメだが、今後成果を出すことで自己肯定を高められるのではないだろうかと少しの希望を持って生活をしている。ストレスなのか最近食べた鱈が悪かったのか全身蕁麻疹が止まらないが、失敗も楽しめば良いだろうし“死“を考えたときより怖いものはそんなにないとは思うので、ある意味無敵の人として生きていける…そんな気がする。

みんな幸せになれればいいね。




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