最近こういきなり寒くなってくると服だったり家の環境だったりを変えなきゃいけなくてドタバタしている。つらいね。とはいえ冬が近づくのは好きです。みんなモコモコし出すし、クリスマスや年始という大イベントで活気づくのは本当に良い。働いている人たちにはたまったものではないだろうけど。今年はサンタさん来てくれるかな。 さて、変な出だしは置いといて、本題である“同担拒否は悪なのか”について書き出していきたい。とはいえこの言葉を知ったのは割と最近だったりする。ひょんなことから乙女ゲーを
人生つらくなってくると、寝るときに夢を見る回数が増えるみたいです。懐かしい人と会う夢、死んだ愛犬と会う夢、もう会えない人と会う夢…様々な夢を見ていきます。話は変わりますが、私はデジャブはちゃんと未来予知だと信じたいですね。デジャブが発動する機会が多いし、はっきりここは夢で見たことがあると言えます。なので山でキャンプしてたら熊と目が合った夢はいつか必ず起きると思ってます。怖いね。まぁ急に何の話ってことで、今日も夢が見れたらいいな。 ふと、目が覚めると中学からの友人た
恥の多い人生を送ってきました。この出だしをやりたかっただけ。バカのままに生きたい。自分の人生を赤裸々に語ることでお金を稼ぎたい。そういう人たちがTwitter…いや、今はXと呼ぶべきかな?そういうことができる人たちは素晴らしい。私は怪物になりたかった。もちろん比喩的な意味だ。例えばものすごい実績を残したプロ野球選手も”怪物”と言われる。そういうことだ。改めて、私は怪物になりたかった。毎日エッセイを投稿したり、プリンを素手でつかみ歩いたり、オモコロに投稿したり、洗濯機の上で配
三連休では上手くこの世界を動かしたいと思っていました。この世界っていうのは自分だけが認識している世界のことです。自分でも何を言ってるのかわかんないけど。一日目は掃除洗濯他etc…。だらだらやりながらだったから、休日にやりたいことの進捗率は20%。ネタバレですがこの進捗率は変わりません。二日目も掃除洗濯…溜まりにたまった呪いみたいなものです。呪詛士みたいなもんです。本人にしか効果がないの。三日目は特になにも…ごろごろして終わり。ここまで書いてただただ怠惰をむさぼる化け物みたい
醜い。実際に自分に生きている価値なんてあるんだろうか?頭も悪ければ顔も体も醜い。でも価値ってなんだろう。顔が良ければ認められるのか?でもまぁ少なくとも頭が良ければ多少重宝されるだろうな。結局のところ自分が悪いんです。心のどこかにあるプライドが自分の生き方を否定している。それは悪いことではないはず、理想を追い求めることは向上心につながる。でもだめなんです。その理想が果てしなく遠く、それまでにある娯楽に逃げ込み辿り着けない自分に嫌悪する。 ひどい。 私は私の愚かさで滅んで
今度ちゃんと病院に行こうと思うんです。自分がフェイク野郎じゃないと知るために。死に行くわけじゃない。俺が本当に生きてるかどうか確かめるために行くんだ。こんなところで一番好きなキャラであるスパイクの名言を使うな。 水族館ブームが来ています。この書き方だと世間的になっちゃうけど、個人的に来ているだけです。自分には、酸素を気にせず水中に沈んでいきたいという願望があります。エヴァのLCLみたいな…ただただ沈んでいたい時があります。もうこの歳になるとプールに行く機会があるわけじゃ
気分が暗い。仕事でミスばかりしていて自己嫌悪と同時に他人に憎悪を押し付けている気持ち。最低。本当に働くべきではなかった。人と比べ評価され吐きそうな気持ち。誰にも助けを乞うことはできず、ただただ虚空に向かい救済を乞う気持ち。最低。何もしていたくない。沈んでいたい。最低。それが救い。躁鬱が薄く自分の中に浸透していっている気分ですが、それでもこのnoteに気持ちを書き出すことで少しでも除去されればいいと思い今日もここにいる。そんな感じ。多分。 自分が大学生の頃、当時はバイトを
元々太っている方ではあったものの、「まぁ他のやつよりはマシやろ…」と謎の優越感があったのと痩せたところで誰も見てくれないという自己顕示欲が犯される恐怖に震えているため放置した結果ちゃんと太りました。一人暮らしになってから「色んなものを作れる!」と想像を膨らませたものの、料理はめんどくさい。親の料理はレパートリーが少なかったもののちゃんと作っていただいたのは感謝でしかありません。今日は珍しく料理をしました。昨日、適当に寄った食堂で食べた豚汁がやけに美味しかったのです。じゃがい
今まで夜更かしして朝を呪いつつ起きてた自分ですが、最近は仕事のせいで(おかげで?)夜は寝て早朝に起きれる朝方になることができました。やったね。せっかくの機会なのでこの生活を続けようと思います。でもどうせ早く起きても寝ながらインターネットを巡るだけなので、こういうnoteを書いて行きましょう。 躁鬱な思考をしないようになりました。理由としては仕事がとても忙しく、帰ってきて寝て起きて繰り返しになりそういうことを考える“暇”がなくなったから…なはず。それ以外は特に変わってない
最近はイライラ…ではないけど心に余裕がなく、優しさを受けても煩わしささえ感じるようになりました。疲れていますね。けどこれを書いているのは月曜日なのでどうしようもありません。詰みです。なので疲れていることを忘れるというか、麻痺させるというか、そういうことで誤魔化すしかありません。今日なんか昼に食べたラーメンのレンゲが器の端っこに引っかからない返しがないタイプでもうイラッとしました。これで「あっ心に余裕がないな」と気づくことができました。やったね。まぁ心に余裕がないのはわかった
さて、最初にお断りをしておくべきなんでしょうか。今自分は最高に酔っているし、締めに大して好きでもないラーメンを待っている途中だということを伝えておかなきゃフェアじゃない。今はまぁそういう状況なのだ。それに対して批評を並べようと構わない。それがこれに対する礼儀なのだ。 人生はクソというのは自分自身でしか決めれない。誰かに決めてもらうなど烏滸がましい行為であり、決してそれはできないのだ。人生はある程度自分でコントロールしなきゃなりません。それを運という不確定要素で取りつくろ
今日一日は本当にダメでした。寝ると朝がやってきてしまう恐怖に怯え、しかし眠気が襲ってきても何故か抗ってたら夜明け。黎明ですね。かっこいい。ふと目覚めると行動しなければいけない時間をとっくに過ぎていて、色々な人に迷惑がかかってしまいました。人として失格だと思います。無念。まぁ大して悪いとも思ってない残念な人間の思考なので、「あぁこいつはクズなんだなぁ」と認識していただければ幸いです。ふふ。 自分には学がありません。こんなところで堂々と言うなと思われそうですが、自分を客観視
Twitterの140文字だっけ?それぐらいの文字数で日々の感情を垂れ流すのは実に気持ちいい。自分のふとしたの感情を言葉にしてるのを見ると「過去の自分…エモいな…」とキモい自画自賛ができる。自分がいいと思うんだからいいんだろう。 ふと数年前までは正直Twitterにハマる自分を想像できなかった。学生時代もまともにやってなかったし、同級生同士のリア垢をなんとなく監視して「ふーん…あいつとこいつは今こういうことしてるのか…」とかゴシップネタでニヤついてたりしてました。芸能界の
躁鬱が入ったり出たりと忙しい日々を送っております。こういう出だしはやめた方いいのかな?媚びている感じがする。自分がそう思うんだからやめた方がいいんだろうな。 目の前にはやることしかない。部屋の片付け、仕事の準備、1日のまとめだったり色んなことを一人でしなければいけない。けれどもやる気がなく体が動きません。これは鬱だからでしょうか?心という器にヒビが入れば…もう…という漫画の一コマがあります。あの漫画の元ネタも知らないし読んだことは無いけど本当に心が壊れると修復不可能だと
これは日記なので自分の思うよーに書こうと思う。公開するし別に黒歴史になってもいいので。 ここ最近は本当に酷かった。蕁麻疹は体全体に出て痒くて何にもできなかったし、深夜に人生で一番痛みが強い腹痛がきて初めて救急車を呼んだ。腹痛が良くなった途端に蕁麻疹が再発し踏んだり蹴ったりである。あと蕁麻疹って痒みを抑えてなんとかするだけで、発症源は出続けるんだね。くわばらくわばら。もう2度と出ないで欲しいよ。原因はなんなの?と言われると自分でもわからない。最近社会に出て普通に怒られた。…が
ぼくァ結構な鬱ツイをしている。自分でもなんでこんな感じで生きてるんだろうなって。ここ最近で躁鬱の”鬱”の部分の沈み方が激しいのでTwitterだけではなくどこかに吐き出したいと強く決意してしまったので、つたない文章で書いていこうと思う。いずれこのnoteが黒歴史になるならそれでもいいし、誰かにわかってもらいたいなんぞ考えてない、まぁその自分の気持ちを整理できればいいかな。そんなもん。 正直なことを言うと、僕は躁鬱ではないのかもしれない。だって病院で診断とかしてもらってないも